怒りへの対処方法~レナード・ジェイコブソン

レナード・ジェイコブソンの「怒りに対する対処方法です。

多くの人は、怒りを不適切に表現するか抑圧しています。あなたは傷付いたとき、その傷付いた感情を避けるために怒るのです。傷つくとあなたは自分が被害者で力がないように感じるので、怒ることであなたは自分自身に力を与えようとします。

そして、あなたはその痛みを避けようとするのです。もしくは怒ることは危険だと幼少期に学んだので、あなたは怒りを抑圧します。こうして怒りと痛みの感情は溶けあって、癒しを不可能にさせているのです。

怒りを表現すると痛みが湧き起こります。痛みを表現すると怒りが湧き起こります。怒りも痛みも、そのどちらも完結へと導く方法で表現されていません。

怒っているならば、深いレベルで傷付いているということです。多くの人たちにとって痛みは抑圧されているので、痛みが意識に浮上する前に責任を持って怒りを表現する技術を学ばなくてはなりません。

まず怒りを充分に感じて、責任を持って表現しましょう。怒りが完了したら痛みを感じましょう。怒りと痛みは切り離されなくてはならないのです。怒りが適切に表現されると、痛みは自然に浮上してきます。

そして、あなたが痛みを感じると、痛みはすぐに過ぎ去っていきます。なぜなら怒りを意識に表面化させて誰にもぶつけずに解放させたことによって、あなたは自身に力を与えたからです。あなたはもう自分が無力だとは感じないでしょう。

ほとんどの場合、怒りは痛みに対する反応です。多くの人は怒りを抑圧しています。怒りを抑圧すると、怒りは内面に向かって、あなたの力を奪うのです。怒りを完全に正しく表現することを身につけましょう。

怒りを解放させてから痛みを感じると、あなたは内からの真の力に漲っているので、痛みはすぐに消えていきます。そして怒る必要はなくなるのです。

怒りを誰にもぶつけないことが重要です。誰をも怒りの表現に巻き込んではなりません。ほとんどの人は怒りの矛先が自分に向けられれば感情的に反応します。

怒りが怒りの反応を引き起こして暴力にまで発展してしまうか、誰かがあなたの怒りの被害者になるかのどちらかです。いずれにしても満足のいく結果ではありません。

一人になって自分の部屋にいき、怒っている人物に対して怒りを表現する方がよりよいのです。怒りを誇張しましょう。怒りを大げさに表現しましょう。怒りがやらかしそうなことを全部試みましょう。

怒りはストーリーを持っています。それを表現しましょう。ただし、そのストーリーを信じ込んではなりません。あなたはただ単に怒りの存在する権利と、怒りとして表現する権利を怒りに許しているだけです。

怒りは受け容れられたと感じる必要があるのです。あなたが怒りを排除しようと努力でもしようものならば、怒りは批判という手の込んだ複雑な姿となって収まることはないでしょう。意識的に責任を持って表現された怒りは笑いへと至ります。

怒りに対するレナード・ジェイコブソンの方法です。ちなみに禅では、怒りも事実として、怒ったことはそれはそれとし、その後続く怒りは「怒りを認識した作用」が続くとしています。これが「思い」であると。

「反応した事実」と「継続する思い」は異なるとしつつも、どちらも今起きている事実・今の様子として手を付けないでおくのが禅ですね。禅のほうがシンプルだったりします。

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