一瞥体験にはいくつかの種類がある

一瞥体験にはいくつかの種類がある

一瞥体験は悟り体験ではありません。
悟りに近い体験をした体験です。
悟りもどき、悟り損ねです。
しかしそうはいっても有益なところがあります。

一瞥体験には、実はいくつかの種類があります。
このことは確かアビダルマにもあったと思います。

一瞥体験には
・空型
・無我型
・無常型
・苦型
などいくつかあります。

空型

たとえば空型の場合は、
一瞬にして異次元的といいますか、
無のような宇宙大に広がる体験ですね。

空が自分だったという感覚です。
爆発感を伴う場合もあります。

著名なケースでは、玉城康四郎氏、
アーチャンチャーらになります。

無我型

無我型の場合は、自分という存在が消えて
(わからなくなって)、
ただあるという感じになったり、
自分がいないという点にフォーカスされます。

本質は空ですが、空のどの部分を感じるかによって
体感がことなると思います。

テーラワーダのマハシ長老のテキストには、
無我型の体験が掲載されています。

無常型

無常型の場合は、無我型と同じになりますが、
「自分は止まって周囲は動いている」
という体験をします。

縁起を体験します。
物事は生滅している様。
変化している様。
これを如実に体験します。

無常(縁起)も本質的には空の体験になります。
本当の自分を体験しつつも、
自分自身が空となって(止まった感じになって)、
五感で感じるものを「あるがまま」に
「縁起」として見ている状態です。

苦型

あと苦型があります。
これは少々わかりにくいのですが、
森羅万象が苦と感じるケースと思います。

この裏側には捨(四無量心の捨)があって、
絶対的な安心感がありながらも
これ以外は苦であると感じる様。

一瞥体験の中でももっとも深い体験に
なると思います。

その他

あとほかには、
「わからないということがわかった」
「この世界は虚構だった」
というように認識に訴えかけるケースがあります。

けれどもこれらは体験の後の感想や見解です。
体験そのものではないように思います。

自分の体験以外が妄想をみなしやすい

このように一瞥体験には、いろいろとあります。

しかしながら自分の体験と異なると
「それは悟り体験ではない」
「その体験は妄想だ」
となりやすいですね。

で、一瞥体験は悟りではありません。
これは確かです。
悟り損ねです。

が、一瞥体験にも
妄想的な体験ががあります。

私も以前、ある著名な方の無我体験を「妄想では?」と思ったことがあります。
しかし他の人の体験を聞いたり、よーく調べていくと、体験にもいくつかのパターンがあることがわかってきます。

もっとも妄想アストラル的な変性意識もあります。この手の体験は、後に何も残らず、ただ「不思議な体験だった」という感覚が残るだけになります。

一瞥体験をしやすい人の特徴

一瞥体験をしやすい人には共通した特徴があります。思いつくのをあげますと、

  1. 心に興味を持つ(心理学に興味を持つのはほぼ共通した傾向です)
  2. 無自覚のうちに心の観察を行い続けている
  3. ヨーガなどの高次の教えに興味を持つ(心理学などの学問レベルで収まらない)
  4. 解脱、悟り、自分が生まれてきた理由、輪廻などの形而上のことへの疑問を小さい頃から抱く
  5. どうしようもない人生上の悩み、家庭の悩み、体の悩み、生きづらさを抱える人が多く、これを解決しようと長期間、取り組む

私の知っている体験者数名も、ほぼ似たような傾向があります。
偶発的に一瞥体験をする人には、似たような傾向や特徴があるのかなあという感じもします。

一瞥体験をするときの状況

また一瞥体験をするシチュエーション(状況)にはおおよそ似たようなのがあります。

それは、

  • 一瞥体験する時に、慈悲慈愛、ハートを感じて感極まっている
  • 一瞥体験する時に、悟り本仏教本、宗教本、高次元のスピ本を読んでいる
  • この肉体に包まれた存在が「私」という意識から、世界が「私」という認識に変化する。

一瞥体験後

あと一瞥体験をした後の思いにもいろいろあります。

  • 目覚めた後に、混乱、戸惑い、落ち込み、脱力感、スッキリ感などを体験をする
  • 目覚めた後に、「この私は『私ではない』のかもしれない」という混乱に陥る。
  • 目覚めた後、体験を再現したくていろんなことに挑戦してさ迷う
目覚めた後の問題については、ステファンボディアンの書にまとまっています。

一瞥体験は十人十色

一瞥体験は、おおよその骨子は似ていても、100人100様になるのが本当のところだと思います。個人差があります。

なので自分の体験と違うからといって「あの人の体験は違う」というように、安易に判断しないほうがよさそうです。

こうしたことを知らないと「自分の体験こそが正しい」といった独断、独善、偏見に陥ることもあります。

知性を働かせて、また文献を調べるようにして、決して狭い了見に陥らないことが大切です。

悟後の修行という言葉もありますが、小悟をした後は適切なアプローチが必要ですね。

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