知的なこと思考も大切~2025.9.19の独り言

いやー、すっかり投稿が滞っていました^^;

ホント久しぶりです。

YouTubeばっかりやっていると、頭の中の整理がうまくつかなくなりますので、やはりこうして文字をタイピングして、脳内を整理したほうがいいですね。

で、ここいらでミュージックスタート

Foundations I – Demo ([24bit] – Royalty-Free Ambient beds/soundscapes) – YouTube

恒例のState Azureさんのアンビエントです^^

 

それにしても、やはりこうして文字を打って文章を作成するのはいいですね。

文章作成をしばらくしていないと、頭の中が知らないうちに雑然としていきそうな^^;

文章を作成するというのは、脳内を整理するといいますか、棚卸し的な効果があるんですよね。
 

それと集中力。

文章を作成するときは、自然に集中します。
漫然としては、文章作成できないんですよね。

で、この天然自然な集中力が結構、気持ちよかったりします。

 

で、文章作成って知的作業でもあって、知力やら洞察力などなどもフル活用するんですよね。

総合格闘技みたいな^^;

で、やっぱり文章を作成していると、だんだんと頭が冴え渡っていく。
 

やっぱり時々ブログをつけよう^^

そうしたほうがよさそう。

なんといっても、頭の中がスッキリするというか、整理できる感じですね。

なんでしょうかね、これ。

音声入力ではダメで、タイピングがいいんですね。

 

そういえば瞑想では、思考・知的なことになり過ぎてはいけません、っていうんですが、しかし思考・知的なこと、知性は大事なんですよね。

この矛盾。

瞑想がわかるようになるまでは、思考・知的なことに「なり過ぎないように」ということなんですよね。

で、瞑想がわかるようになったら、むしろ思考・知的なことが活かされていくという塩梅。

といいますか、瞑想がわかるようになったら、思考・知的なことが伸びていかないと、ちょっとマズいことも。
 

瞑想がわかるようになってから、思考、知的作業や活動が大切になってくるという構造なんですよね。

なのでやはり思考、知的なこと、知性は大切。

欠かせないんですね。
 

結局、思考、知的なことは道具、ツールなんですね。

で、知性といいますか、叡智がメインになり、知性・叡智の表現手段として、思考・知的活動があるって感じになっていきます。

この構造が大切だったりするんですね。
 

で、知性・叡智は、考えて行うものではなく、内部から自然に出てくるもの。

いわば洞察力とか、直観力とか、そういうものですね。

そういう「ひらめき」みたいながあって、そこに思考・知的作業が上乗せされていく感じ。

そういえば、こんな感じの脳内活動になっていると思います。
 

で、こうした脳内活動は、途中からそうなりましてね。

10代の頃は、思考に思考を重ねるといったいわゆる知的作業をやっていました。

言葉の理解、定義、論理などなどを行い、ロジックで組み立てたり、推論だけをしているような感じ。

それが、こうした実践をしている中で、最初に直観的なことがあって、それに思考という道具を使って表現していくことが多くなったものです。
 

ずっと行っているYouTubeの散歩トークも、こんな感じで行っています。

たまにノートにポイントをメモして、それを見ながら話しをするときもありますが、基本的台本なし、思いつくままにトークをしていきます。

ひらめきと言うんでしょうか、自然に出てくると言うんでしょうか、結構重宝していましてね^^

自分でも、不思議だなあ、おもしろいなあと感じています。
 

そんな自然なトークをして、自分でも楽しんでいるですけど^^;、しかし文章作成は文章作成でいいですね。

こうしてタイピングをしていると、指の運動にもなります。

で、脳にも刺激が行きますね。

そうそう、このタイピングが脳にいいのかもしれませんね。

タイピングの刺激によって脳が活性し、それで楽しくなっていっているのかもしれません^^
 

というわけでして、とりとめないことをタイピングしましたが、やっぱり時々、ブログ記事を投稿したほうがいいですね^^

YouTubeのほうが簡単で便利なので、ついやってしまいますが、しかし文章作成は脳に刺激があっていい。

できるだけブログ記事もやっていきたいですね。

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