瞑想には2種類ある

瞑想には2種類ありますね。
また同じ「気づきの瞑想」にも2種類あります。
それは

◎マインドによる瞑想
◎いまここによる瞑想

この2つです。

「マインドによる瞑想」とは、
言葉、イメージ、思念を使ったもの。

「いまここによる瞑想」とは、
言葉、イメージ、思念を超えた「いまここ」によるもの。
名色分離智ともいえます。

このことの違いは、
要するに「瞑想をしているのは誰か」といった
瞑想主体の違いですね。
名色分離智を超えると、この感覚が出てきます。

サマタ系にしても、気づき系の瞑想にしても、
瞑想の主体が「いまここ」である必要があります。

マインド系の瞑想と、いまここ系の瞑想は、
質が違います。
 

「いまここ」は、ちょっとシフト感があり、
クリヤーな独特の感じがするように思います。

気づきの瞑想は、マインドで実習しても、
リラックス効果や、ヒーリング効果が出てきます。

さらに修習をしますと、
「いまここ」感が強くなってきます。

ですが、イチ(1)、ゼロ(0)の世界ではないと思います。
割合の問題ではないかと思います。

チャルーン・サティ(手動瞑想)は、
自然に「いまここ」へシフトしやすい瞑想
ではないかと思ってます。

対象への気づきがゆるく、
心もオープンになるので、
修習を続けていきますと、
自ずと「いまここ」にシフトしやすくなります。

反対に、対象へしっかりとサティを入れるやり方は、
ともすると分離意識を強めてしまう心配があります。
これはカニカ・サマディですね。

カニカ・サマーディは
微妙なものを感じさせます。

チャルーン・サティに限ったことではありませんが、
「ゆるい」ということと、瞑想主体がミソですね。

瞑想主体というのは、方便であって、
本当は、そういうのを自覚しないで、
「ただある」でいいんですけどね。

が、「誰が瞑想をしているのか」というのは
知的にはわかりやすいといいますか、
説明上、便利というのはあります。

瞑想主体とか、そういうのは気にしないで、
「ただある」でいいと思っています。

で、何よりも「名色分離智」に
開けることがまずは大事じゃないかと思います。

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