ギフテッド~子ども時代に生涯の特徴を示す片鱗は顕れる

いやー、この前も書きましたが、最近、東大理Ⅲに合格した人や、灘中学などの難関中学に合格した人達のYouTubeを見ていましてね。おもしろくてハマっています^^

灘中学や高校では、東大理Ⅰ・理Ⅱ合格は当たり前。東大理Ⅲ合格になると「おおっ」となるレベルであるとか。天才集団の集まりなので、価値観がそもそも違うとか^^;

こんな異次元の世界があること自体がワクワクですし、ワタクシの知らない未知の世界でもあって、メチャおもしろいんですよね。

もうね、こういう人達は、子どもの頃から、というか生まれながらに天才的な才能を発揮していて興味深いんですよね。
 

東大理Ⅲに合格したある人は、生後3ケ月で文字が読めるようになり、1才半くらいで言葉を話すだけでなく会話ができるようになったとか。で、2才くらいで近所のオジサンと世間話をしたという、言葉の超早熟だった人もいるとか。

2才くらいで「大人と世間話をした」というのは、概念を理解できるほどの頭脳と言語能力があったということで、ものすごい才能なわけですね。

で、こうした子どもは「飛び級」なんかもするようですが、まさに天才。

で、言葉の理解が早熟な子どもは、小学生になると、大人が読む本を好んで読むようになるとか。で、小学生の段階で、抽象的なことも理解するようになって、まさに「頭が良い」子ども。話しを聞いていてもわかります。
 

他には、数学的才能が飛び抜けていたり、記憶力が良く1回聞いただけで覚えてしまったり、ある人は写真記憶(見たまんま覚えてしまう才能)の才能があったりして、まさに「ギフテッド」なわけですね。

こういう人達はまさに「天才」。飛び抜けた才能の持ち主。良い意味で異常なんですね。

で、こんな子どもが、しかも親に経済力のある家庭の子どもが、灘中学などの難関中学には集まってくるとか。
 

で、「言葉」を理解する能力が、頭の良さと関係もしているようで、言語能力は大切なんだなあと思ったりもします。

そういえば、人違いで私を誹謗中傷した人がいるんですが、その人はまさに読解力や理解力に問題があったんですね。陰謀論を好み、勝手な思い込みで決めつけてしまう人だったわけです。

ちなみに境界知能といわれるIQ85以下の子どもは、ケーキを三等分できなかったりするといいます。で、感情のコントロールがうまくできず、暴力沙汰を起こしたり非行も多くなって、問題児になるともいいます。
 

どうやら言葉を理解する能力は、知能を推し量る一つの目安になりそうで、「本を読む」といった読書の大切さが、改めてわかってきます。

読書は知能を高め、頭を良くしますね。ネット時代においても、読者は必須ですし、読書は死ぬまで習慣にしたほうがよさそうです、
 

で、話しを戻しますが、東大理Ⅲに合格したある人は、3才で「不老不死の仙人になりたい」と思い、小学1年生のときに「人は死ぬことを知って泣いた」といいます。

こういう人は、なんだか神仙や天界から生まれ変わってきた人であるかのようで、将来が楽しみです^^
 

生まれながらある種の才能が見られるといった他に、10才以下の子どもの頃に、何らかの才能が際立っている、何らかの分野に興味関心があるといった「特徴」は、その人の過去世に深く関係していると思います。

過去世はありますね。無いとするほうが、いろいろと説明するにあたって困難になります。
 

しかしながら、過去世に関しては、暗く悲惨な過去世にフォーカスされがちですので、私は基本的に過去世を取り扱いません。

また過去世に興味関心が行くと、大概は暗い気持ちになったり、こだわりが強くなったりします。人によっては執念深くなります。
 

で、ここに認知がオカシかったり言語能力が稚拙な霊能者が絡むと、いっそう面倒なことになります。

なので現在では、過去世云々すること自体を基本的に避けています。

しかし、ギフテッドといわれる場合、良い意味での過去世の影響がありますね。これはもう間違いないと思います。

 

思い返せば、私も6才くらいのときに「生まれ変わってきた」という感覚があったものでした。

また大自然の中に偉大なる存在(サムシンググレート)を感じて、感動していたり。

小学2年生のときは台風などの災害のニュースを見る度に「どうしてこの人達は災害に遭ったのだろう(他の人は災害に遭わず、この人達が災害に遭うのは何故なんだろう?)」といったことをよく考えていたものでした。

こうした傾向は、10代になるとさらに輪郭がハッキリしてきて、14才のときに将来の夢を書く作文のときに、「ボクの将来の夢は、醜いエゴを陶太することだ」と書いて、先生をドン引かせてしまったこともあったものでした。

決定的だったのは16才のときに、カルマの仕組みを知って雷に打たれて(これは譬喩ではなく、本当に体にババババとスパークするように電流が走った)、解脱を志すようになったりして、子どもの時代に一生の傾向の片鱗が随所に出ていたことがわかります。

極めつけは、21才のときに、春川正一さん(秋山眞人さんのPN)が他の惑星へ行ったという手記を読んでいる最中に、覚醒体験(一瞥体験)が起きて、人生が一変してしまったこと。

その後も、こうしたことが時々起きて、一般的には理解されにくい人生を彩ることにもなったものです。
 

ちなみに私のこうした傾向は、一般的ではなく「変わり者」であるため(自分でも自覚していたため)、誰かに言うことなく、ずっと自分の胸の内に秘めていたものでした。

誰にも言うことなく、一人で向き合うことが長かったわけですが、こうして人前でオープン(とはいっても限られた人達に向けてですが)にし始めたのは、50才近くになってからです。実に35年近く、ほとんど黙っていたことになります。

それだけ世間からかけ離れた興味関心を持っていて、なおかつ「宗教」というオウムや統一教会となどにも誤解されやすい分野であるため、伝え方を間違えると「変わり者」を超えて「ヤバイ奴」「頭のオカシイ奴」「自己顕示欲の強いヤツ」認定されてしまいます。

なので、ホント、誰にも言うことはなく、ずっと秘めていたものでした。
 

しかし、自分が興味関心があることは、抑えようがないんですね。必ず、これを表そうとする時がやってきます。

また、この興味関心にふさわしいとでも言うかのような、様々な体験も起きます。

伝統的な宗教の枠には収まりきらない体験や見解も出てきたりしますが、実はそれこそがオリジナルが伝えたかったことなんだなあというのがわかってきたりして、数奇な運命を今も歩んでいます。
 

ほとんどずっと一人で行ってきていますので、別段、誰かに認めて欲しいといった気持ちは薄いのですが、しかし、知っていただいて、実際に追体験していただくと、いいんじゃないのかなあと思っています。

それで、ご縁のある方々に、また準備ができていそうな方には、少しずつご紹介やアドバイスもし始めています。

こうしたことを通して、研究や検証もずっと続けていますが、いろいろとわかってきていることもあります。
 

この先、こうした検証などは、まだまだ続いていくと思いますが、瞑想と、ここから開けるプレゼンスという意識感覚が、まずは必要であるということ。

これだけは今は、公に向かって明確に言い切れることだと思っています。

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