あけましておめでとうございます。
2026年の新しい年を迎えました。
ですが日々の瞑想や坐禅の実践・実習は変わらないかと思います^^
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ところで改めてのご説明になりますが、瞑想会では、プレゼンスを一つの通過点としています。
プレゼンスのことは、テーラワーダ仏教では、名色分離智(みょうしき-ぶんりち)といっています。
体感的にいえば、理屈抜きに「いまここ・あるがまま」感が深まり、とらわれ感が減って平穏になり、知的な諸々や情緒的な諸々に対してのベッタリ感が軽減します。
人によって説明が違ってくると思いますが、一言でいえば、それまでと比べて「楽になる」という言い方ができると思います。
また宗教的な教義・観念・概念に対しては、年月とともに色あせて感じられてくるようになりますので、言葉で構築した宗教やスピリチュアル、思想、哲学に対して違和感が強くなっていくようになります。
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ちなみにプレゼンスを別の言い方をすれば、生命の実相・根源意識に開けることを、知性で感じる有り様という言い方が出きます。
こちらのほうが現代的かもしれません。
プレゼンスは、知性(頭)以外にも、
ハートで感じる、
お腹で感じる
こともあって、実のところ人それぞれによって感じ方や感じる部位に違いがあったりします。
また、その感じ方にも浅い深いもありますし、それぞれの認知のフィルターによって、表現も微妙に違ってまいります。
ですが、生命の実相、根源意識を感じていることには変わりがないということですね。
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それと生命の実相・根源意識のことは、
・インドのヨーガでは真我・ブラフマン、
・原始仏教では補特伽羅(プトガラ)、極光浄(ごくこうじょう)、善
といっています。
仏教では、真我はNGですので(仏教は永遠不滅の実態を認めませんので)、永遠不滅の概念を排除して、「補特伽羅」「極光浄」といったり、真我がもたらす性質である「善」にフォーカスした表現を取っています。
また、
・タオでは、一(いち)、道、徳、
・キリスト教では適切な表現をしていませんが、イエスやグノーシスが説いていた父(神)
がそうですね。
現代覚者は、生命の実相というよりも、意識の特徴にフォーカスした表現を取っています。
意識の広がりとか、自分が無くなったという意味での無我感、宇宙意識や根源意識といった言い方ですね。
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いろんな言い方がありますが、生命の実相・根源意識は、さまざまな性質も帯びていて、善、エネルギー、一体感(ワンネス感、垣根が薄くなる感)、よろこび、あたたかさ、わらかさを生じる性質もあります。
神道における「玄胎」という言い方は、ちょっと違うかもしれませんね。
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ところで2000年代になってからは、欧米における現代覚者の説明が幅を利かせています。ですが、説明の仕方に、幾分ノイズも含まれているなあと感じています。
近年出回っている覚醒本は、欧米人の感性や認知、文化的な背景に基づいた表現を取っていますので、多少注意する必要もあるかと思います。
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やはり自分で体験体得していくことが望ましいですね^^
それと、心を感じて洞察する力を高め、日々瞑想や坐禅を実践実習をして、心やエーテル次元・アストラル次元におけるよどみや不浄を解放していくことも大事ですね。
一瞥体験や覚醒体験、エネルギー体験をしても瞑想や坐禅は欠かせませんので、日々の実践実習がやはり大切ですね!
また天啓気療やセッションを受けることで、心やエーテル次元・アストラル次元を浄め整えることができて、より真我的な意識に開けていくようになりますので、こちらもおすすめになります^^
そういうことになりますが、今年も励んでまいりましょう!
今日のお話は、こちらの散歩トークも参考になると思います。
ゆるっとラウンジ