瞑想の極意「気づき」とは「感じる力」のこと

瞑想の極意「気づき」とは「感じる力」

瞑想は「リラックス+気づき」が要です。

中でも「気づき」

気づきが大切。

しかし「気づき」というと、実はわかりにくい言い方だったりするんですね。微妙なニュアンスを違えてしまうこともあります。

「気づき」とは、実のところ「感じる力(感受力)」のことだったりします。

あるいは「見守る力」ともいえます。

能動的ではなく、受動的なニュアンスなのがミソなんですね。

リラックスは愛・慈悲・いつくしみをともなう

またリラックスとは、愛・慈悲・慈しみを伴っているんですね。

これが実のところ非常に大切だったりします。

瞑想は慈しみをベースに「ナチュラルに感じられる」ようになるのが大切

瞑想の実践実習では、リラックス(慈しみ)を土台にして、「感じる」ように行っていきます。

で、やがてナチュラルに「感じられる」「感じてしまう」「気づいてしまう」という有り様になってきます。

このような「受動的な感じ方」「向こう側から来る感じ方」になるのが大切なんですね。

自然に感じられるようになると「あるがまま」だけになる

で、このようになると、日々の生活において「あるがまま」としているだけで、「気づいてしまう」「感じてしまう」「自覚してしまう」ということが起きるようになります。

で、こうした有り様になると、もはや「あるがまま」一本で行うようになります。

この有り様が大切だったりします。

「感じる力」が不足していると瞑想は伸びない

瞑想は、リラックス、落ち着き、やさしさだけでは伸びないんですね。

リラックス、落ち着き、やさしは大切です。

けれども、これらがそろっていても瞑想は伸びません。

ですので、性格が温厚な方でも、瞑想がうまくできないケースも出てくるわけなんですね。

感じる力(感受力)がもっとも大切だからなんです。

高次意識もチャクラも「感じる力」が必須

高次意識にしても、チャクラにしても、「感じる力」が高まりませんと、決してわからないんですね。

そのようにできています。

感じる力が充分でありませんと、高次意識はおろか、チャクラも、気もわかることはないんですね。

せいぜい思い込み、妄想、想像になってしまいます。

思い込み、妄想、想像のスピリチュアルが今は大変多いですので、このようになるリスクも大きくなっていますが、決してこの手のスピリチュアルのようになってはならないんですね。

地味ながらも着実に進めていく

地味なんですが、感じる力を着実につちかっていくことが大切になります。

コツコツ続けていきますと、いつかわかるようになっています。

ただし、コツコツと続けていくことが大切です。

続けていくことができませんと、成果は得られませんので、その点はご承知ください^^

しかし成果が得られないと、やがて止めてしまうようになってしまいます。

過去にも、こうした方々は少なからずいらっしゃいました。

人によってはいわゆるスピリチュアルのほうへと進んでいくことも。。。

けれども、こうなってしまうのはもったいないですね。せっかく真実を知るチャンスがありながら逃してしまうのはもったいないと思います。

お伝えしている瞑想や実習は、正真正銘の歩みですし、真我へと進む道です。

どうかコツコツと続けていただきたいと思います。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です