ゆるっとラウンジhttps://www.yurubossa.comゆるっとしたお気楽系ブログFri, 15 Aug 2025 02:43:47 +0000jahourly1https://www.yurubossa.com/wp-content/uploads/2019/08/cropped-yuruttologo-32x32.pngゆるっとラウンジhttps://www.yurubossa.com3232 AIで作った90年代のJ-POPがすごいhttps://www.yurubossa.com/ai-90/https://www.yurubossa.com/ai-90/#respondFri, 22 Aug 2025 02:42:03 +0000https://www.yurubossa.com/?p=17579

これらの作品はAIで作った音楽であると。 夏の歌 | 90’s J-POP Style 90年代のJ-POP風に作ったといいます。 メロディ、バッキング、ヴォーカルなどなどすべてAI。 制作においては音楽ジェネレーターを ... ]]>

これらの作品はAIで作った音楽であると。

夏の歌 | 90’s J-POP Style

90年代のJ-POP風に作ったといいます。
メロディ、バッキング、ヴォーカルなどなどすべてAI。

制作においては音楽ジェネレーターを上手に使うなどのコツがあるようですが、要領を得た人がAIを使うとすごいクオリティのものを生み出しますね。

AIすごい。

どんどん進化していて、まさに日進月歩。

アートな分野でもクオリティの高いものをあっという間に提供してくれます。

私もデザイン、写真、文章、文章のテンプレなどでたまに使うことがありますが、用途はもっとありますし、応用自在。

高い専門知識を背景にAIを使うと、短時間で驚くようなハイクオリティなものを生み出せそう。

この先、ものすごいことになりそう。

すごいですね

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一般的なヒーリングと天啓気療やセッションとの違いとは?~加えるのではなく共鳴・除去https://www.yurubossa.com/healingchigai/https://www.yurubossa.com/healingchigai/#respondFri, 15 Aug 2025 02:45:19 +0000https://www.yurubossa.com/?p=17576

目次 非表示 一般的なヒーリングと天啓気療やセッションとの違いとは? 一般的なヒーリングは「加える」やり方だが・・・ 天啓気療は「共鳴」するやり方 Sさんのセッションは「取り除く」するやり方 Sさんも理解している想念物質 ... ]]>

一般的なヒーリングと天啓気療やセッションとの違いとは?

ヒーリングにも何種類かあります。

で、一般的なヒーリングには、レイキ、シータヒーリング、波動調整、一般的な気功などがありますね。

ところがおすすめしているヒーリングは「天啓気療」「セッション」になります。

⇒天啓気療ヒーリングがおすすめな3つの理由

これらのヒーリングは、どこがどう違うのかについてご説明いたします。

最初に結論を言いますと、次の通りになります。

  • 一般的なヒーリング・・・加える(エレメンタルを作る)、アストラル界系
  • 天啓気療・・・共鳴(エレメンタルを作らない)、真我系
  • セッション・・・取り除く(エレメンタルを作らない)、真我系

このような違いがあります。

以下に詳しく説明いたします。

⇒天啓気療の詳細・行き方

一般的なヒーリングは「加える」やり方だが・・・

一般的なヒーリングはエネルギーを「加える」やり方です。レイキ、シータヒーリング、波動調整、一般的な気功が、これに該当します。

このやり方はもっとも多かったりします。イメージを使ったり、操作して、エレメンタル(思念物質)を作る(残す)やり方です。

で、実は、エレメンタル(思念物質)が、瞑想の障害になっています。

瞑想は、エレメンタル(思念物資)を取り除くこと---これを解放といっています---が中心になっているくらいです。

ですので、一般的なヒーリングを受けると、瞑想がうまくできなくなるんですね。

そこで、これらのヒーリングを受けることは、おすすめしていないんですね。

しかし、これらのヒーリングを愛好している方にとっては、上記の指摘は不愉快に感じるかもしれません。

けれどもこれが事実なんです。

「あるがまま、ありのまま、いまここ、気づき系」の瞑想においては障害になります。

天啓気療は「共鳴」するやり方

ところが天啓気療は「共鳴」するやり方です。

自分の中にある「本当の自分」が天啓気療と共鳴します。

それでヒーリング現象が起きます。

時々、北澤先生が言われていますが、「天啓気療は受けているあなた自身が起こしている」と。

これはまさに天啓気療の北澤さんのクンダリーニとハートチャクラが「共鳴」してエネルギーが生じている(受けている人の中で生じる)ことを意味しています。

Sさんのセッションは「取り除く」するやり方

ちなみに、Sさんのセッションは「取り除く」やり方です。

現世で生じた想念(エレメンタル)過去世から引き継いでいる想念(エレメンタル)を除去していきます。

また、ほかのヒーリング(レイキ、シータヒーリング、波動調整など)で生じたエレメンタル(思念物質)を取り除いていきます。

さらにいえば、真我(本当の自分)への接続も行います。

Sさんも理解している想念物質(エレメンタル)の悪影響

今、サラっと書きましたが、Sさんもエレメンタル(思念物質)の除去を行っているわけですね。しかも「契約解除」といっています。

で、一般的なヒーリングを受けると、エレメンタル(思念物質)が加わり、これが「自分らしさ」「本当の自分(真我)」を分かりにくくしてしまいます。これは大変なことです。

つまり、一般的なヒーリングを受けると、真我(本当の自分)がわからなくなる・遠ざかるということなんですね。

で、Sさんも、このことを重々理解しているということ。

余計なエレメンタルを取り除く

なので!、Sさんもセッションで、「契約解除」といって、過去に受けたヒーリングや各種団体との絆(エネルギー的な結びつき)を取り除くわけですね。

要するに「余計なエレメンタル(思念物質)」を取り除くことで、真我(本当の自分)につながりやすくなる(開眼しやすくなる)ということ。

繰り返しになりますが、一般的なヒーリング(レイキ、シータヒーリング、波動調整、一般的な気功などなど)を受けたり、縛りのあるスピリチュアル団体や宗教団体に入会するだけで、エレメンタル(思念物質)が残り(形成し)、支配下に置かれるようになります!

これが怖いですし、リスクになるわけですね。

天啓気療とセッションは瞑想と親和性がある

おすすめしている瞑想も「加える」やり方ではなく、自分の中にある「本当の自分」が感じられてくるやり方です。

また「あるがまま」とすることで、余分な想念(エレメンタル)を落としていくやり方です。

ですので天啓気療やセッションとは相性がいいんですね。またどちらも真我系のヒーリングです。

瞑想の指向性とも一致します。

ですので天啓気療とセッションをおすすめしています。

天啓気療とセッションは良質なヒーリング

しかも天啓気療やセッションは、非常にパワフルなヒーリングです。

現在知り得ているヒーリングの中でも、天啓気療とセッションは飛び抜けた良質なヒーリングです。

なおSさんのセッションは紹介制になっています。

ご希望の方は私までご連絡をください。

運命を変えカルマを浄化する方法~ハート・エネルギーと天啓気療ヒーリング 天啓気療の北沢勇人さんのYouTubeがいい

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意識の底流にある固定されがちな心(存在波動)も変えるのが瞑想実践https://www.yurubossa.com/koteikokoro/https://www.yurubossa.com/koteikokoro/#respondWed, 13 Aug 2025 11:45:52 +0000https://www.yurubossa.com/?p=17570

目次 非表示 意識の底流にある固定されがちな心(存在波動)も変えるのが瞑想実践 「六道」は心を解き明かしているモデル 人間にも固定した心(存在波動)がある 人間の心は大きく変化するの意味 瞑想実践によって存在波動が変わる ... ]]>

意識の底流にある固定されがちな心(存在波動)も変えるのが瞑想実践

お伝えしている瞑想や実践は、本当に効果があり、実践者の意識や心を変えてもまいります。

熱心に取り組めば、高い意識にも開眼していくようになるんですね。

これは本当です。

おすすめしている実践は、手前味噌ながら、練りに練り上げたやり方になっています。

  1. 瞑想・気功・・・あるがまま、いまここ、プレゼンス、観察瞑想、心の観察、マインドフルネス
  2. 祈り・ハート瞑想・・・祈り、慈しみの瞑想
  3. 適切な言動・・・サービス精神、礼節・言葉使い、やさしさをつちかう
  4. 真我系ヒーリング・・・天啓気療やセッションを受ける

⇒ゆるっと瞑想

「六道」は心を解き明かしているモデル

ところで現在、動画セミナー「原始仏教講座」を行い「六道」をお話ししています。

お聞きになっていますか?^^;

非常に有益な内容になっていますので、ぜひぜひお聞きになってください。

それで人間以外の六道の生命は、心がほぼ一定に固定されているんですね。なかなか変わりにくいところがあります。

たとえば天人の場合は、ほとんどがハッピーハッピー。

動物の場合は、おそれ、おびえ。

けれども縁によって、天人も不安を感じたり、動物もよろこんだりもします。

でも、ある一定の心が底流に流れていて、天人ならハッピ、動物ならおそれの心が基本となっています。

このことを「存在波動」ともいえます。

人間にも固定した心(存在波動)がある

人間も、この基本的な心の有り様、つまり「存在波動」が一定しています。

ですが、生まれてから亡くなるまで、ずーっと不安だったり、ハッピーハッピーであるとは限らないということなんですね。

ある時期は、鬱々として悩みが多かったり。またある時期は、物事がうまくいって全般的にハッピーハッピー。

そんな色とりどりの人生を織りなしていますが、人間は、固定した心(存在波動)が時期によって「変わる」といった特徴があります。

また人間は、梵天(最高神)の心から地獄の心まで、すべてを体験、経験できます。

人間の心は大きく変化するの意味

これらのことを総して、「人間だけが、唯一、心が大きく変わる存在」というんですね。

人間の心は大きく変わるといっても、日頃から「ある一定の心」が支配しているんですね。存在波動は、わりと固定されています。

けれども、その固定傾向のある意識・心も、ずっと変わらないということではなく、変わり得るということですね。

瞑想実践によって存在波動が変わる

で、存在波動、意識の底流に流れている固定的な心が「変わる」実践が、瞑想です。

またお伝えしている4つの実践になります。

世の中には、イメージや目標を設けて「何かになろう」とする方法が多いんですが、この方法では、本当の意味で変わることは難しいんですね。

ところがテーラワーダ仏教に伝わる「あるがまま、いまここ」という瞑想を実践し続けると、心が解放され、自分が変わることが起き得ます。

しかも高次意識が深まっていくようになります。

さらに、特異な能力も出てくるようになります。

この驚くべき現象を私自身が体験し、その驚きのあまりに、このテータワーダ仏教を広く世の中に知っていただきたいと思い、比丘を招いた瞑想会を行ったほどでした。

4つの実践は優れている

世の中には本当に希有な方法があります。

お伝えしている瞑想や実践もそうなんですね。

優れたテーラワーダ仏教の瞑想に加えて、天啓気療やセッションも取り入れています。この2つのヒーリングは、本当にすごいヒーリングでありエナジーワークなんですね。

さらに、毎月行っている瞑想会も、ある特徴があります。

瞑想、祈り、天啓気療やセッションといったヒーリング、日々の言動を適切にする、に加えて、毎月の瞑想会に参加していきますと、短期間のうちに大きく変わることも起き得ます。

そうして、日頃、意識の底流に流れている心、---昔のことを悔やむ心・意識、どこか元気の出ない心・意識、ブツブツと言っている心・意識、常に警戒しているような心・意識---が減り、解放されていくようになります

そうして、誰もが内在している「善性」が顕わになり、その人らしい有り様へと変容していくようになります。

ほぼ固定されていた心・意識も変わっていくようになります。

人間だからこそ瞑想効果も著しく出てくる

こういうことが可能なのが「人間」でして、また瞑想や実践が、より効果的に作用してまいります。

人間だからこそ、瞑想実践することで、ダイナミックに変化変容もしてまいります。

これは人間の特権であり、チャンスなんです!

こうしたことをも解き明かしているのが「原始仏教」なんですね。

優れた瞑想や実践、教えがありますので、ぜひぜひ続けてまいりましょう!また学んでまいりましょう!

瞑想会は、瞑想が進むためのエネルギーフィールドでもありますので、毎月の瞑想会には、できるだけご都合をつけて参加されることをおすすめいたします!

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瞑想の極意「気づき」とは「感じる力」のことhttps://www.yurubossa.com/meisou-kiduki/https://www.yurubossa.com/meisou-kiduki/#respondThu, 07 Aug 2025 10:45:41 +0000https://www.yurubossa.com/?p=17567

目次 非表示 瞑想の極意「気づき」とは「感じる力」 リラックスは愛・慈悲・いつくしみをともなう 瞑想は慈しみをベースに「ナチュラルに感じられる」ようになるのが大切 自然に感じられるようになると「あるがまま」だけになる 「 ... ]]>

瞑想の極意「気づき」とは「感じる力」

瞑想は「リラックス+気づき」が要です。

中でも「気づき」

気づきが大切。

しかし「気づき」というと、実はわかりにくい言い方だったりするんですね。微妙なニュアンスを違えてしまうこともあります。

「気づき」とは、実のところ「感じる力(感受力)」のことだったりします。

あるいは「見守る力」ともいえます。

能動的ではなく、受動的なニュアンスなのがミソなんですね。

リラックスは愛・慈悲・いつくしみをともなう

またリラックスとは、愛・慈悲・慈しみを伴っているんですね。

これが実のところ非常に大切だったりします。

瞑想は慈しみをベースに「ナチュラルに感じられる」ようになるのが大切

瞑想の実践実習では、リラックス(慈しみ)を土台にして、「感じる」ように行っていきます。

で、やがてナチュラルに「感じられる」「感じてしまう」「気づいてしまう」という有り様になってきます。

このような「受動的な感じ方」「向こう側から来る感じ方」になるのが大切なんですね。

自然に感じられるようになると「あるがまま」だけになる

で、このようになると、日々の生活において「あるがまま」としているだけで、「気づいてしまう」「感じてしまう」「自覚してしまう」ということが起きるようになります。

で、こうした有り様になると、もはや「あるがまま」一本で行うようになります。

この有り様が大切だったりします。

「感じる力」が不足していると瞑想は伸びない

瞑想は、リラックス、落ち着き、やさしさだけでは伸びないんですね。

リラックス、落ち着き、やさしは大切です。

けれども、これらがそろっていても瞑想は伸びません。

ですので、性格が温厚な方でも、瞑想がうまくできないケースも出てくるわけなんですね。

感じる力(感受力)がもっとも大切だからなんです。

高次意識もチャクラも「感じる力」が必須

高次意識にしても、チャクラにしても、「感じる力」が高まりませんと、決してわからないんですね。

そのようにできています。

感じる力が充分でありませんと、高次意識はおろか、チャクラも、気もわかることはないんですね。

せいぜい思い込み、妄想、想像になってしまいます。

思い込み、妄想、想像のスピリチュアルが今は大変多いですので、このようになるリスクも大きくなっていますが、決してこの手のスピリチュアルのようになってはならないんですね。

地味ながらも着実に進めていく

地味なんですが、感じる力を着実につちかっていくことが大切になります。

コツコツ続けていきますと、いつかわかるようになっています。

ただし、コツコツと続けていくことが大切です。

続けていくことができませんと、成果は得られませんので、その点はご承知ください^^

しかし成果が得られないと、やがて止めてしまうようになってしまいます。

過去にも、こうした方々は少なからずいらっしゃいました。

人によってはいわゆるスピリチュアルのほうへと進んでいくことも。。。

けれども、こうなってしまうのはもったいないですね。せっかく真実を知るチャンスがありながら逃してしまうのはもったいないと思います。

お伝えしている瞑想や実習は、正真正銘の歩みですし、真我へと進む道です。

どうかコツコツと続けていただきたいと思います。

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4つの瞑想実践で成果が出てきている~プレゼンスへの開眼https://www.yurubossa.com/meisoujissenn4/https://www.yurubossa.com/meisoujissenn4/#respondMon, 30 Jun 2025 14:03:55 +0000https://www.yurubossa.com/?p=17548

さて、久しぶりのブログです。 最近はYouTubeからの発信が多くなり、ブログのほうがご無沙汰しています。 YouTubeは、手軽でカンタン。しかも情報量も多くなりますので、一度、YouTubeの良さを知ると、YouTu ... ]]>

さて、久しぶりのブログです。

最近はYouTubeからの発信が多くなり、ブログのほうがご無沙汰しています。

YouTubeは、手軽でカンタン。しかも情報量も多くなりますので、一度、YouTubeの良さを知ると、YouTube発信が多くなりますね。

ユーチューバーが多くなるのもわかります^^;

でも、私はユーチューバーになるつもりはありません。今のところは^^;

 

で、ここいらでミュージック。

Intellijel Multigrain Ambient Test/Demo (Eurorack Ambient)

State Azureさんのアンビエントですね。

もう定番です^^

 

それで、今ではYouTube発信が多くなっているんですが、ここ最近メチャうれしいこともありましてね。

ええ。

瞑想会に参加されている方の中から、新たに「プレゼンス」に達した方が出てきましてね。

プレゼンス特有の感覚などがそろっていますし、何よりもお話しをしていると、プレゼンスの共感共鳴が起きていますので、確かですね。

ハートのほうが強いかもしれません。

 

で、その方は、私の瞑想会に来て初めて瞑想などを学んだ方です。

ある意味、私の瞑想指導100%の元で開眼した方といえます。

ちなみに、プレゼンスに開眼するまで4年かかっています。

しかし一般的なスピードからいえば、かなり速いといえますね。いえ、超速いといえます。

これがおすすめしている瞑想実践の効果なんですね。

 

7年前に現在の瞑想実践のひな形を思いついたものでした。

で、当初は数名の方に実践していただいて、その手応えを感じていたものでした。

で、今回は、まったく瞑想などが初めてにも関わらず、わずか4年でプレゼンスに開眼。

これは自分にとっても相当な自信といいますか、確信といいますか、「このやり方は確かにすごい」というのを改めて実感した次第です。

 

私のやり方には、いくつかの企業秘密があります。

公にしていない諸々があります。

別にオープンにしてもいいんですが、これらを公言すると、ちょっと誤解されるといいますか、教祖やグルみたくなりそうですので、公にすることは控えています。

 

ですが、常々言っているんですよね。

それは、

  • 瞑想会には参加してくださいねー
  • 祈りの会に参加することも大切ですよー
  • 日々の言動を適切にしてくださいねー
  • 天啓気療とセッションは受けてくださいねー
  • 瞑想は毎日行ってくださいねー
  • リアルかオンラインで質問をしてください
  • リアルな機会には参加してくださいねー
  • YouTubeは聞いてくださいねー
  • いわゆるスピリチュアルは控えてくださいねー
  • 思想や哲学、考え過ぎ、考えだけで答えを出すことは控えてくださいねー

といったことなんですね。

で、最近プレゼンスに開眼された方は、これらすべて行っていたんですね。

で、信じていただく・信頼をしていただくということが、実は非常に大事だったりします。

はい。

これらが秘密です。

 

私は、半ば強引に引っ張ったり、強く言うことはできるだけ避けているんですね。

やんわりと、でも大事なことはお伝えするようにしています。

これで反応してくださったり、動いてくださることをモットーとしています。

でありませんと、無理な力が加わって、かえってよくないんですね。

 

やわらかく、やさしく、静かに。

でも伝えることは伝える。

で、それを受け止めて、きちんと実行し実践されると、伸びていく。

これがわかったものでした。

 

以前から薄々感じていたことが、やっぱり功を奏するんだなあ。

それが今回、非常によくわかりました。

また一つ確信が深まりました。

このやり方は思っている以上にすごい。

人を、相当な高みにまで至らせる。

 

まったくゼロかたの方はプレゼンスやハートへ。

既に目覚めている方は、より高みへと。

こうしてご縁のある方々が真我、実相に開眼していくことのお手伝いは、最上のよろこびであり、尊く、美しいことだなあとつくづく思います。

このようなことができること、させていただいていることに、感謝の気持ちが絶えません。本当にありがたいですね。

 

とにかく成果を出し続けることですね。

こうした実践は地味なんですが、着実な一歩一歩が、世を照らし、人々に平和をもたらすものだと思います。

派手ではない。しかしホンモノ。着実。

これからも目覚める方が続々出てくるのではないかと期待しています。

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神は至る所にいる~鎌田東二著「神道用語の基礎知識」は良書https://www.yurubossa.com/kamatatouji/https://www.yurubossa.com/kamatatouji/#respondMon, 02 Jun 2025 12:05:35 +0000https://www.yurubossa.com/?p=4403

目次 非表示 鎌田東二著「神道用語の基礎知識」は良書 ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)が感じた神道の本質 自然の中に神々しさを感じる~「となりのトトロ」の世界に通じる 神道の感覚を持った人は多い 「神」はいたるところに存 ... ]]>

鎌田東二著「神道用語の基礎知識」は良書

神道研究家の鎌田東二氏がお亡くなりになったようです。

2019年7月9日に投稿した記事を再投稿します。

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それにしても神道がおもしろいですなあ。感慨深い。自分のルーツを、ついに見つけた、という感がします。

で、鎌田東二著「神道用語の基礎知識」が、とてもよく出来ています。言葉や概念の説明を手ほどきしてくれています。神道の基本からわかるようになっています。

鎌田氏は、神道の本質を「何も無い」としています。教祖も、経典も、教団も無い。何も無い。あるのは「神道の感覚」であると。これは言い得て妙です。

ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)が感じた神道の本質

ちなみに、この「神道の感覚」について、ギリシア人のラフカディオ・ハーン(小泉八雲)が、初めて出雲大社に行ったときの言葉を引用して説明しています。

ラフカディオ・ハーンの感慨は「新編 日本の面影」に収録されている「杵築 (きづき)――日本最古の神社」の中にあります。

ラフカディオ・ハーンは、こう述べています。
=====================
「この大気そのものの中に何かが在る−−うっすらと霞む山並みや妖しく青い湖面に降りそそぐ明るく澄んだ光の中に、何か神々しいものが感じられる−−これが神道の感覚というものだろうか。 」
=====================

鎌田氏は、ハーンの感慨に対して、こう述べています。
=====================
「このハーンのいう「神道の感覚」とは、この自然界を構成している空気、光、水、土、風などの中に神々しいものが存在すると感じ取る感覚。すなわち自然の中に神を見出す感覚である。」
=====================

ここを読んでいると、「ああ、そのとおりだなあ」と。そうして「神道とは、こういうものだったんだな」ということが、言語化された説明を通して腑に落ちます。

自然の中に神々しさを感じる~「となりのトトロ」の世界に通じる

この感覚は「まったくその通り」。ハーンにしても、鎌田氏にしても、その通り。自然の中に神々しさを感じる。

子どもの頃、自然の中に神を感じて、精霊がささやくのを肌で感じていた人は少なくないと思います。

かくいう私も、その一人です。幼少の頃より、自然の中に、周辺に偉大なる存在(サムシング・グレート)を感じ続けていたものです。言葉では言い表すことのできない存在。感覚。

こうした感覚を感じている日本人は少なくないと思います。だからこそ、宮崎駿さんの「となりのトトロ」が共感されるんだと思うんですね。「となりのトトロ」は、まさに「神道の感覚」が根底にあるアニメですからね。

神道の感覚を持った人は多い

こうした「神道の感覚」を持っている方は、少なくないと思います。その感覚に「強い弱い」はあっても、ほとんどの人が持っていると思います。

日本人であるなら、多くの人が、「神道の感覚」を持っていますし、惹きつけられていくんじゃないかと思います。

日本人でなくても、ラフカディオ・ハーンのようなシャープな感受性を持った人なら、誰もが感じると思います。

自然界、森羅万象の中に何か偉大なる存在がある。サムシング・グレート

そうしてこの感覚こそが「プレゼンス」に進展もしていくようになります。悟り系でいわれる「いまここ」「気づき」ですね。

「神」はいたるところに存在するという感覚こそが神道の真髄

鎌田氏のこの書は、こうした「神道の感覚」を前提にして、神道や神社が、いかに観念化、教理化、儀式化していったかをも解き明かしています。

根底に「神道の感覚」がありますので、とてもわかりやすい。フィット感があります。

著者の鎌田氏は、「おわりに」のところで、こうも述べています。

=====================
そもそも、わが国では、「神道」の語は、最初「仏法」に対置されて用いられた。『日本書紀』用明天皇の段で、「天皇、信仏法、尊神道」と記されたのが初見である。

その用法から明かなことは、第一に、「仏法」が信不要という信仰の対象であるのに対して、「神道」は「尊ぶ」か「軽(あな)ずる」かの対象であったこと。

つまり「神」の存在や「神道」の所在を信じないなどという者はいなかったということだ。

わが国に、中世のキリスト教神学で最大の問題になった「神の存在証明」など起こるようがなかった。なぜなら、「神」はいたるところにいたからだ。

本来、「神」とは信じるとか信じないという”信仰”のカテゴリーには属すようなものではなかった。自明の存在であった。

そこに水があれば、「水の神さま」がいた。日があれば、「日の神さま」がいた。海にも山にも川にも谷にも、天にも地にも、鳥獣や人の中にも、いつでもどこでも「神」はいた。

「神」に対しては、ただ敬うか、敬わないかという態度の違いがあった。信か不信かではなく、敬か不敬かの違いである。
=====================

見事な説明です。正鵠を射た素晴らしい説明。まさに、この通り。

仏教の「信か不信か」は後世に創られた「信仰型の仏教」

ただ、一つ、二つ、補足すれば、仏教が「信か不信か」ということに関しては、それは後世に創られた「信仰型の仏教」のことになります。

本来の仏教(原始仏教)においては、いわゆる「信仰」というものは希薄だったものです。といいますか、修行が進むに従い、「信じる」という思考活動そのものが消えていく性質が、原始仏教にはあったりします。

だから、、、原始仏教は、むしろ神道に近い。スタンスは極めて似ている。というか、同じ。

「敬か不敬か」ではなく自然の中に神を見出す感じ方の「強い弱い」の違い

また、神道では「敬か不敬か」とありますが、これもまた微妙に違っているのではないと思います。

用明天皇の言葉に従って説明していますので、そのような表現になったのでしょう。が、そもそも「神道の感覚」には、「敬も不敬も無く」、ただ、自然の中に神を見出す、その感じ方が「強い弱い」の違いと言ったほうが適切ではないかと思います。

そうして、この「強い弱い」の感じ方は、そのまま真理の「それ」に対する感じ方の違いと重なってきます。つまり、「『それ』自体がある」という感覚が深いか浅いか。

原始仏教における有り様とは、「それ」への深い浅いの違いがあるように思います。そうして、この感性は、そのまま神道にも当てはまる。

神道が「教祖も経典も教団も無い」とするのは原始仏教も同じ

奇しくも、神道では、「教祖も、経典も、教団も無い」といいます。このことは原始仏教でも同じ。

事実、初期の頃は、ブッダは「三宝」を説いていませんでした。三宝を尊重するようになったのは後のことだったりします。原始仏教、ことにブッダが悟った頃は、まさに「教祖も、経典も、教団も無い」状態でした。

ちなみに初期の頃は、教理もオリジナルのものはありませんでした。ジャイナ教やバラモン教で使っていた言葉や概念を借りて、ブッダは説明していたという事実。

だから、仏教学者の中村元先生は、頭を抱えてしまい「仏教とは一体何なのだ?」と、その著書で述べていたくらいです。

けれども、こうした有り様は、神道と大変よく似ています。不立文字の禅にも似ている。

神道の感覚とはハートであり霊性のこと

ちなみに、禅はハートがありません。欠けています。

けれども、神道にはハートがあります。いや、ハートそのものと言っていいでしょう。ハートの有り様が神道。

何か、こう、神道には、原始仏教、アドヴァイタ、真理系に通じるもの、重なるものがあるように感じられます。

姿勢、態度は、まったく同じといっていいでしょう。非言語化の世界。教祖、経典、教団も無い。

神道とは、ハートの有り様なのでしょう。事実、「神道の感覚」とはハートであり、霊性です。霊性は、「神道の感覚」が色濃くなるにしたがって強まってもいきます。

神道とは、ハートであり、霊性。
これで決まった。

ハートの覚者フーマンは日本人はハートの民族と言っていた

ハートの覚者・故フーマンは、日本人はハートの民族であるという。また、ある過去世では日本にいて、神職をしていたという。

木花咲耶姫(このはなさくやひめ)に頼まれて、日本に来たというフーマン。神道のことがわかってくるにつれ、フーマンが言っていたことが、今になって、リアリティをもって腑に落ちる。

「ああ、だから、そうなのか」と。

神道の感覚は、ハートであり霊性です。この感覚を多くの人は持っています。

だから日本人の場合は、ハートを基盤にし、ハートを踏まえながら進めていくのがいいんですね。

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瞑想会は波動の高いフィールド・雰囲気が大切https://www.yurubossa.com/meisou-hadou/https://www.yurubossa.com/meisou-hadou/#respondWed, 16 Apr 2025 13:40:45 +0000https://www.yurubossa.com/?p=17505

目次 非表示 瞑想会は波動の高いフィールド 波動が高いことを慧観という 瞑想会の目的は「良質な高エネルギー」場を作ること 瞑想会の波動の高さは大切 瞑想会の高エネルギーで瞑想が進む 徳エネルギーを損ねるのはマズイ 誤解さ ... ]]>

瞑想会は波動の高いフィールド

毎月、瞑想会を開催していますが、実のところ瞑想会は「波動の高い」フィールドといった言い方ができます。

「波動の高いフィールド」というのは、聞き慣れない言葉かもしれませんね。

それもそのはず、私の造語です。

で、「波動が高い」とは、真我エネルギー、善エネルギー、徳エネルギー、神意識エネルギー、ハート・エネルギーといった言い方もできます。「天界」ともいえます。

要するに、宇宙の根源エネルギー、生命エネルギーのことになります。天啓気療のエネルギーが、これなんですね。

で、瞑想会は、こうした真我系エネルギーに包まれる、満たされる「場(フィールド)」になるのが大切だったりします。

波動が高いことを慧観という

ちなみにタオでは、このエネルギー状態のことを、「ポカポカとした春の日の、やわらかい陽気のようにゆったりとした感じ」といっています。

で、気功では、これを「慧観(けいかん)」といっています。波動が高い様子のことなんですね。

瞑想会の目的は「良質な高エネルギー」場を作ること

で、鋭敏な方は、こうした瞑想会のエネルギーを感じます。

で、それはその通りだったりします。

で、こうした高エネルギーのフィールドで瞑想をすることで、実のところ、参加する方の瞑想が、よりしやすくなり、より進むようになります。

これが瞑想会の本当の「目的」「役目」だったりもします。良質で高い波動のエネルギーに満たされた「場(フィールド)」にすること。

実は、そういうのがあったりします。

瞑想会の波動の高さは大切

ですので、瞑想会のエネルギー・フィールド(場)って大切なんですね。で、こうしたことは、経験上、感じていました。

ですので15年前に瞑想会を始めた頃から、「ポカポカとした春の日のように、やわらかくもゆったりとした雰囲気」を重視してきました。

で、後になってから気功などでは、これを慧観(けいかん)といって、非常に大切にしていることを知ったものでした。

で、慧観の正体とは、徳エネルギー、真我エネルギー、善エネルギー、神意識エネルギー、ハート・エネルギー、宇宙の根源エネルギー、生命エネルギーだったわけですね。「天界」です。

瞑想会の高エネルギーで瞑想が進む

ちなみに「天界」では瞑想が非常に進むといいます。ほら、一致しますよね?天界のような雰囲気は大切なんです。

瞑想実習では、この空気感や雰囲気が大切です。で、瞑想会は、こうした雰囲気になることで、参加者の瞑想がブースト(加速)されます。

瞑想会は、ただ単に集まっているだけでなく、その良質なエネルギーに満たされることで、瞑想が進んでいく機会だったりします。

徳エネルギーを損ねるのはマズイ

ところが、こうした瞑想会のエネルギーを損ねる場合があります。それは「徳を損ねることをしてしまう」場合です。

つまり「低エネルギー」「波動が低い」状態。

具体的にいいますと、不活発、沈滞、暗い、鬱々、悪口、批判が多い、攻撃性、落ち着きがなさすぎる、抑制の効かない感情の爆発、ネガティブな雰囲気、霊的な影響などなど。

こうしたことが瞑想会に多々出てきますと、瞑想会のエネルギー・フィールドを損ねてしまうんですね。で、ほかの方にもよろしくない影響をおよぼしてしまいます。

ですので、瞑想会参加にあたっては、参加される方がエネルギー・フィールドを損ねない状態であることが望ましくなります。で、面談をして、一応、確認をしているというのがあります。

誤解されやすいので注意が必要

しかしこのことは、ちょっと差別的といいますか、人をえり好んでいるかのように誤解されるおそれもあります。ですので、なかなか言いにくいところがあったりします。

ですので、基本的には言いません。黙っています。

徳の感覚が出てきませんと、上記のことは理解しにくいんですね。まず理解できません。できにくい。

マインドちゃんがバリバリに強い状態では、まず徳の感覚はわかりませんし、説明をすると「差別だ」「人格を否定された」などの勘違いをされてしまうほか、文句や不満を言われてしまうおそれが出てきます。

なかなかデリケートな領域だったりします。

瞑想会への参加をお断りする場合

瞑想会は、ただ単に集まって皆さんと瞑想をしているだけではなかったりします。

実のところ、エネルギーの場(フィールド)を形成していくことも大切だったりします。といいますか、これが本当の目的だったりします。ものすごく大切。

ですので、参加する方を選ぶことにもなりますし、徳を損ねる言動が多い場合は、申し訳ありませんが、参加を控えていただくこともあるんですね。

ホント、こればっかりは仕方ないんですね。

天啓気療とセッションが欠かせない

瞑想会では「瞑想ができる・できない」は問題にはなりません。けれども「雰囲気を損ねる」は問題になるんですね。

もし、エネルギー・フィールドを損ねる方がいらしたら、まずセッションを受けるようにおすすめしています。あるいは天啓気療を4回以上受けるかですね。

徳を損ねる感性は、過去世からのトラウマの影響を受けているケースや、強い霊的な障りを受けていることに起因することも多かったりします。ですので、セッションによって、意識の深いところからの浄化は欠かすことができないんですね。

心・意識の浄化が大切

セッションと天啓気療によって、心・意識の浄化を行うことで、心が明朗になり、オーラも美しくなり、自然に瞑想ができるようになり、徳エネルギーを育むこともできるようになります。

で、こうした状態で瞑想会に参加しますと、その方自身が、瞑想会のエネルギー・フィールド形成に与(くみ)するようにもなり、良質で高いエネルギーの場(フィールド)が作られるようになります。

で、参加されている皆さまが、素晴らしい恩恵にも浴することができるようにもなります。恩寵(おんちょう)も作用しやすくなります。

まとめ

瞑想会には、こうした作用があることは、もしかするとほとんど知られていないかもしれません。が、実のところものすごく大切なことだったりします。

とても精妙といいますか、デリケートなことですので、理解され難いと思いますが、少なくとも私の瞑想会では、こうしたエネルギー的な観点、徳や善の観点も大切にしています。

実は、このような瞑想会だったりします。

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素晴らしい4つの実践https://www.yurubossa.com/subarasii4/https://www.yurubossa.com/subarasii4/#respondSat, 12 Apr 2025 14:35:13 +0000https://www.yurubossa.com/?p=17500

私のほうでは、4つの実践を推奨しています。その4つの実践とは、 1.毎日、瞑想を行う 2.祈り・ハート瞑想を行う 3.日々の言動を適切にする(認知を良くする) 4.天啓気療やセッションを受ける この4つになります。 中で ... ]]>

私のほうでは、4つの実践を推奨しています。その4つの実践とは、

1.毎日、瞑想を行う
2.祈り・ハート瞑想を行う
3.日々の言動を適切にする(認知を良くする)
4.天啓気療やセッションを受ける

この4つになります。
中でも「天啓気療とセッションを受ける」は、際だった特徴になっています。
 

このやり方を始めて6年になります。
で、最近では、驚くような成果が出てきてる方もいらっしゃいます。

たとえば、天啓気療を10回以上を受け、セッションを1回受け、毎日の瞑想、祈り・ハート瞑想を行い、そうして日々の言動を適切にして認知を良くすることを行い続けてきた方。

こうした方が複数いらっしゃいますが、ほぼ誰もが見ても、透明感のあるエネルギー(オーラ)を感じて、きよらかさを感じるようになっています。

つまり波動が高くなっている。
しかもきよらか。

これが実現できています。

驚異的。
私自身が、かなり驚いているほど。
 

7年前に、私が天啓気療を受けた際に、「これは瞑想に役に立つ!」と直感しましたが、これが大正解だったことがわかります。

天啓気療やセッションを取り入れた瞑想実習は、人を劇的に変える作用があります。天人・天女にいたらしめます。

そうして、この美しい状態を土台にして、さらなる高い意識に進んでいくようになります。
 

手前味噌ながら、このやり方は本当に素晴らしいと、自分で感嘆しているほどです。

このやり方で、より多くの方々が、まず「しあわせな心」になること願っています。
 

ただ、中にはマインドが強い方もいます。マインドが強いと、瞑想会のエネルギーフィールドに影響を及ぼすこともわかってきました。これをどうするかは、今後の課題です。

しかし時間がかかったとしても、天啓気療+セッションを取り入れた瞑想実践への可能性への期待が高まります。
 

前人未踏といいますか、まったく新しい領域を開拓している感もありますが、思えば10代の頃からそうだったものです。

人が根源的なところから「しあわせになる」ということに関しては、ほぼ実現できそうなことがわかってきたことだけでも、うれしいですね。

もっとも、これができる方は、先天的な素養などもあるのかもしれません。もしかすると。

しかしながら、こうした大発見をして、6年間、検証し、それは予想以上の効果があることがわかってきたものです。

10代の頃から、非凡な歩みをしてきていますが、今も驚異的な道を歩み続けているかのようです。

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瞑想に役に立つ天啓気療ヒーリングhttps://www.yurubossa.com/meisouniyakudatu/https://www.yurubossa.com/meisouniyakudatu/#respondTue, 08 Apr 2025 14:44:55 +0000https://www.yurubossa.com/?p=17493

目次 非表示 天啓気療が瞑想に役立つことを発見 数多く受けると激変することもある 天啓気療の効果 まずは4回を目安に受けてみる 天啓気療を受ける際の注意点 ①何か改善したいこと、実現したいことを伝える ②動画撮影のおすす ... ]]>

天啓気療が瞑想に役立つことを発見

天啓気療が「瞑想に役立つ」ことは、今から7年前に、私が実際に受けたときに直感した(気がついた)ことでした。

しかも天啓気療は、ほかのヒーリング(レイキや気功など)とはまったく性質が異なり、コーザル次元(魂の次元、宇宙の源)から生じていることがわかり、大変驚いたものでした。

「天啓気療は、一般的なヒーリングとは違う!」
「これは洗礼、イニシェーションと同じ性質だ!」

このときの直感と実感にもとづいて、周囲の何名かの方にも受けていただいたところ、瞑想が進むなどの驚くべき効果が確かに出てきました。

このことは、これまでの6年間で実証され、それで皆さまにも天啓気療をおすすめしています。

数多く受けると激変することもある

最近も、天啓気療を10回以上受けた方が、昔に比べて激変するなどの実例が出てきています。

オーラ(エネルギー状態)が非常によくなり、明るさと透明感が出て、肌も美しくなり、その変化はご本人もハッキリと自覚しているほどです。

まさに「天人・天女」になるかのようで、こうした方々が続々出てきていることにも大変驚いています。

天啓気療を取り入れた瞑想実践は、ほかにはない「大発見」だと自負しています。

それで、昨年から瞑想会に来られた方々には、天啓気療をイチオシ、ニオシしています。

⇒天啓気療院HP
⇒天啓気療院北沢勇人 – YouTube

天啓気療の効果

天啓気療は、瞑想が進む以外にも、

  • 体の不調の改善
  • メンタルの不調の改善
  • 人間関係の円滑化
  • とらわれ、執着の軽減
  • 心が明るくなり、軽くなる
  • 透明感が出てくる(肌もきれいになる)
  • エネルギーのよどみ、トゲトゲ、粘り、モヤモヤが解消される
  • 全身のエネルギーが美しくなる
  • 全体的にマイルドになる(性格もまろやかになっていく)

といった効果が期待できます。
個人差がありますし、受ける回数によって異なりますが、エネルギーレベル(潜在意識)からクリーンになるのが特徴です。

落ち込みやすい、不定愁訴、憂うつ傾向、自己否定感などがある方は、受けるにしたがって軽減していくようになる思います。

まずは4回を目安に受けてみる

今まで多くの方を見てきた経験上、「4回」を目安に受けるのがおすすめです。できれば10回は受けていただくとよいかと思います。

天啓気療はお金はかかりますが、お金に代えられない精神的な恩恵が期待できます。

瞑想会に参加されている方は、精神的な豊さを求める人が多いと思いますので、受けることをおすすめします。

天啓気療を受ける際の注意点

なお天啓気療を受けるときには、次の4つを知っておくとよいかと思います。

①何か改善したいこと、実現したいことを伝える

天啓気療を受ける際には、せっかくですので、何か「改善したいこと」「実現したいこと」を北澤先生に伝えると良いかと思います。

「仕事がうまくゆくようになりたい」
「人間関係が円滑になるようにしたい」
「健康面を改善したい」
「メンタルを改善したい」

などなど

②動画撮影のおすすめ

なお動画を撮影すると(先生のほうで撮影します)、後で再び見ることができます。またほかの方も見ることができるため、ほかの方にも役立ちます。

もし撮影が可能なら、撮影を希望していることを伝えるといいですね。

現代の洗礼としての天啓気療

天啓気療による瞑想効果は、驚くものがあります。現代の「洗礼」ですね。

手前味噌ながら、こうしたことがわかるのは、私の特異な感性(エネルギー感性)に依るところがありますが、本当に大発見だと思っています。

しかし、天啓気療は「恩寵(おんちょう)」ですので、実際に受けてみないと、どういった効果が出てくるのかはわかりません。

けれども受け続けていきますと、また「瞑想、祈り、日々の言動を適切にする」を行っていると、恩寵のように効果が出てくると思います。

決してマイナスにはなりませんね。むしろプラス、メリットが多く出てきます。

天啓気療を受け続けてういくと、瞑想も進みやすくなります。高い意識にも開眼しやすくなります。

瞑想を進めたいという方は、ぜひぜひ天啓気療を受けることをおすすめいたします。

⇒天啓気療院HP
⇒天啓気療院北沢勇人 – YouTube

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キリスト教がもたらしたマインドと文明https://www.yurubossa.com/kirisutobunmei/https://www.yurubossa.com/kirisutobunmei/#respondFri, 21 Mar 2025 15:13:06 +0000https://www.yurubossa.com/?p=17475

初期キリスト教(1世紀~2世紀)の歴史を知り、いろいろと感じています。 きっかけは、エレーヌ・ペイゲルスの著書ですね。   posted with ヨメレバ エレーヌ・ペイゲルス/荒井献 Amazon 楽天ブッ ... ]]>

初期キリスト教(1世紀~2世紀)の歴史を知り、いろいろと感じています。

きっかけは、エレーヌ・ペイゲルスの著書ですね。

これを読み、複雑な心境になり、いろんな思いがよぎり続けています。

なんていいますか、さまざまな思いが錯綜しているため、まだまとまらないところがあるんですね。

整理がつくまで、多少時間がかかりそうです。

それくらいインパクトのあることが多く、一種のカルチャーショックといいますか、現在でも価値観、それも深いところで漠然と抱いていた常識のような概念が、ガラガラと崩れ落ちていくような感じが続いています。

もしかすると、私の過去世に、キリスト教(グノーシス)と関わっていた生涯があったのかもしれません。なので、インパクトも大きくなっているのかもしれません。が、さて。

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で、結局のところ、現代の社会は、いわば「初期キリスト教」に端を発しているところがあるってことなんですね。

それは、論理的、合理性、客観的、第三者でも理解できることが大切、基準、常識、統一化、スタンダード、標準化、規律規約といったもろもろ。

こうしたことに端的に表れているということ。

もっとも、これらは社会を運営していく上で欠かせないことばかりです。

-----

しかし。

この社会の有り様は、イエスの教えが「キリスト教」化していくプロセスにおいて登場してきたことだったということ。

端的にいえば、グノーシスーーー瞑想的であり、高次意識・神意識に開眼し、叡智とともにあることを提唱していた賢者グループーーーを弾圧し、消し去っていく中で、作り上げていった諸々。

一言でいえばキリスト教は、それ自身をグローバル宗教化するプロセスにおいて、「マインド(欲深さ、思考)」を強化していったということ。

で、これが「キリスト教」という宗教となって世界宗教になっていったということ。

で、この一方で、グノーシス---瞑想的、高次意識、真我、神意識---を「理解できん」「そんなものを求めるな!」として足蹴にし、否定し、潰してきたということ。

なんとまあ。

-----

茫然自失の感に陥るのですが、もし、グノーシスが弾圧されず、世界の主流になっていたなら、、、、

地球文明は、まったく装いを異にした世界になっていたでしょう。

言葉の定義にはうるさくなく、ちょっと曖昧で、ゆるりとしている。

法律のようなガチガチに規定したルールは無いか、あっても簡素なものだったかもしれません。

人々は、神意識(真我)に根ざしている感覚で生きているため、基本的に大丈夫。心配は要らない。

内部から生じる善の感覚に基づき、創造的に生きるようになるため、細々として規定や規律は要りません。

各人の内部感覚にしたがって生きていけば、基本的にOK。無問題。

そんな社会。

そんな社会をもたらしてであろうが、グノーシス。

-----

この様は「宇宙的」。

そう、他の惑星の皆さんとほぼ同じような有り様であり、地球人も宇宙人的になったであろう、ということ。

しかし、これを阻んだのが、否定したのが、潰してきたのが「キリスト教」。

-----

現在知られているキリスト教は、誰もが分かるように「普遍化(これをカトリックといいます)」に努めてきたということ。

普遍性が必要なので、定義化・言葉化を行い、誰がみてもわかる行為そのものを---中身・質よりも---重視する。で、組織を重視して巨大な組織を作り上げて普遍化を成し遂げようとする。で、複雑化し、ストレスが多くなる。が、これで善しとする。

しかしこれとは正反対に、厳密な定義化・言葉化することなく、また誰がみてもわかる行為そのものよりも中身・質を大切にする、さらには組織を否定してシンプルなグループで善しとする様。

これがグノーシス。瞑想的。高次意識的な表れだったということ。

けれども、こうしたグノーシスに対して、正統を自称するキリスト教(パウロイズム)は認めることができなかった、いや、そもそも理解できなかった。

-----

で、そんなグノーシスが不気味に思えたのでしょう、グノーシスに対して潰すための「理論武装」などを始めます。マインド武装です。

その際に登場してきたのが、論理、合理、客観、第三者でも理解できる普遍性、スタンダード、標準化、基準、統一といった産物。

これらは現代社会にもみられます。といいますか、このように規定しないと許されないのが社会。世の中。

が、これらは、瞑想的、高次意識、グノーシスを潰していく過程で考案され、発展してきたということ!

-----

これがわかったとき、地球の文明、地球におけるスタンダードというものが、実のところ愚かな感性に基づくだけでなく、高次意識を足蹴にしてくる中で登場してきたということ。

この驚き。

なんとも言いようのないモヤモヤとしたのが渦巻き、と同時に、今まで「常識」と思っていたこれらのことが、ガラガラと崩れ去っていくような感覚に。

-----

論理、合理、客観、第三者でも理解できる普遍性、スタンダード、標準化、基準、統一。

果たして、これらはどこまで必要なのか。

もっと内部感覚、直観、感性に従っていいのでは?

常識という一種の概念----それはグノーシスを陶太する中で培われてきたキリスト教的マインド----に必要以上に縛れる必要はないんじゃないの?

極論をいえば、どうでもいいことなのでは?

てか、低い感性、低い波動向け様が、「論理、合理、客観、第三者でも理解できる普遍性、スタンダード、標準化、基準、統一」といった諸々。

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こうしたことが感じられ、わかってくると、自分の中で何かがガラガラポンしていくのを感じます。

科学への疑問。いえ、正確にいえば、「科学的」ということへの疑問

科学的というのは、誰でもわかる客観的で事実に基づくことをいいますね。また誰もが再現できること。

しかし。その誰でもわかる、再現できるというのは、普遍性、統一、標準化という前提があるからこそなんですね。

で、その普遍性、統一、標準化を求めるのは、畢竟、これががないと困る、不安になるからなんですね。

で、不安は、真我に開けていないからこそ生じてくる迷いでもあって、外側(現象)に振り回されることが多いから抱く感情でもあるわけですね。

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実際、真我的な感性である「あるがまま」「いまここ」にあると、不安は減っていくようになります。完全に無くなることはなくても、軽減します。

わからないと不安になり、不安であるが故に、基準や標準、ガイドライン、普遍性を求め、それを安心材料にするわけですね。真我的な感覚が無いか乏しいからです。

だから、目に見える「安心材料」を求め、それこそが、論理、合理、客観、第三者でも理解できる普遍性、スタンダード、標準化、基準、統一なわけなんですね。

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こうしたことがわかってくると、現在の文明の根底にある、これらのマインド的感性は、果たして本当にいいのかな?と思えてくるわけですね。

現在の地球文明・社会に対する根源的な疑問と問いです。

こうしたことが、初期キリスト教の歴史を知ることで浮かび上がってきたということなんですね。

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人類の歴史は「強いマインド(欲の深さ、鈍感さ、心への無知、思考の強さ)」がもたらしていることが明々白々になってきたような。

もちろん、マインド的なものもある程度は必要なのかもしれませんが、いや、究極的には不要かもしれない。

論理、合理、客観、第三者でも理解できる普遍性、スタンダード、標準化、基準、統一。

これらは、真我的な感覚がわからないからこそ必要とされ、低波動がもたらす産物なのではないかと。

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そういえば、秋山眞人さんが別の惑星へ行ったときの話しに、「宇宙人達の社会には、小さな政府と、簡単なルールがあるくらいで、宇宙人達は各人の内部感覚に基づいて生活している」といったことを言っていたんですね。

そう、この内部感覚とは「真我」なんですね。神意識といってもいいでしょう。

こうした真我的な感覚に開け、より深く根ざすようになってくると、マインド的なこと---論理、合理、客観、第三者でも理解できる普遍性、スタンダード、標準化、基準、統一、科学---といったものが色あせてくるような。

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初期キリスト教の歴史を知ることで、社会的なもろもろが、いろんなものが、ガラガラと崩れ落ちていくような感覚になります。

どれだけ恵まれていても、社会的に著名であっても、ポジションにあっても、「ま、そういうもんだよね」「それはよかったね、でも二次的なものだよね」というのが、ますます腑に落ちていくようでもあります。

こうした「側(見た目のもの)」に満足したり、とらわれ、求めることは、「そう大したことではない」といった感じが、ますます深まっていくような感じにもなります。

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一部のスピリチュアルでは、お金持ちになる、豊になる、人生に成功する、願望が実現するとかを強調するところもありますが、ま、そういうのもいいけれども、それよりももっと大切な意識、感性があるよねーといった感が強まるといいますか。

初期キリスト教の時代、グノーシスを陶太し潰していった一方で、マインドを強めていったことは驚きであり、この衝撃は今もなお、自分の中で何かが崩壊し、そうして何かが新しく再構築していくような感があります。

このプロセスというか崩壊はまだまだ続いています。しばらく続くかもしれませんが、地下ではなにかが胎動している感もあって、今、大きな変化の真っ直中にいます。

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キリスト教。

これこそサタン(悪魔)の産物だったことがよくわかります。反キリスト---神意識、真我、高次意識、叡智、愛を体現していたグノーシスを陶太し、消し去ってきたーーーは、キリスト教そのものだったわけですね。

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