体調を崩してしまったの巻き

ここのところ記事の投稿が止まっています^^;
先週の土曜日から用事があって、
で、月曜日になってダウンしてしまい、
昨日はめまいがして、ちょっと体調不良になっています。

ブログ記事は予約投稿しているのですが、
ちょうど記事ストックが切れています^^;
 

で、そんな状態の日々が続いていますが、何気に、ふっと
スマナサーラ氏の本を読みたくなりましてね。

きっかけは、たまたま見かけた、こちらの動画です。

預流道の特徴/預流果と五戒の関係/ウサギを逃した青年の後日談

預流果の話しですね。
で、預流道心について、最初のほうで言及されています。

預流道心。
そういえばありましたね。

で、興味を持って預流道心について調べてみましてね。
なーるほど。

以前、読んだっきりで、すっかり忘れていましたが預流道心。
これは一回だけ生じる心であると。

で、預流道心に続いて、預流果心が生じると。
預流果心は、瞑想などに入れば何度も生じると。

アビダルマでは、このように精密に分析しています。
 

大変、興味深いですね。
預流道心とは、おそらく一瞥体験とか、見性とか、覚醒体験のことでしょうね。

しかしアビダルマでは、預流道心と預流果心という具合に
2つに分けているんですね。

で、アビダルマでは、
預流道心は一回だけ生じる心。
最初の起爆心のようなものですね。
爆発感のある衝撃です。

で、預流果心は預流道心が定着したもの。
まさに結果ですね。
アビダルマでは預流果心もサマーディの一種といっています。
このことは「増支部経典 三集 第五 一掬塩品 92-4」にもあります。
三結を断じ、貪・瞋より離れ、思考があっても
自然にわき上がる喜楽のある初静慮(軽いサマーディ)を具えると。

三結が無くなり、貪・瞋からも離れはじめ、思考がありながらも
自ずと生じる喜楽をともなう初静慮(軽いサマーディ)。
これが預流果心であると。

このことはスピリチュアルでいわれる宇宙意識とか、そういうのと同じでですね。
リチャード・モーリスバックの「宇宙意識」の記述は、まさに、これでしょう。

預流果になると、いわゆる宇宙意識というのが日常的に感じられるのではないかと思います。
広がる意識。
高揚感、喜悦感をともなう高次元の意識ですね。

もっとも原始仏教では、こうした意識状態の言葉はありません。
下手をすると真我とみなされてバッシングもされるでしょう。
なので真我とかいう言葉は使わずに、
「有尋、有伺、離所生の喜楽ある初静慮を具足する」といった表現を取っているんだと思います。
※増支部経典 三集 第五 一掬塩品 92-4
 

が、預流道心と預流果心とは、本当は分ける必要はないんじゃないかと思います。
が、あえて分けて分類するのがアビダルマらしい精密さって感じです。

上記のスマサナーラ氏の話しでも、
預流道心が生じて、次ぎの瞬間に預流果心が生じる説明ですね。

預流道心も預流果心も実質同じ。
ってことですね。

ただ、預流道心にしろ預流果心にしろ、
その深浅といいますか、人によっては違っているんじゃないかとも思います。

で、預流道心・預流果心は瞬間起きる体験ですが、
これは一瞥体験とか、見性とか、覚醒体験と言われているものですね。

で、人によっては、さらに意識に変容が起きて、
一来果心、不還果心、阿羅漢果心まで至ってしまうと。
人によって、その深度が違ってくるんじゃないかと思います。
 

預流道心・預流果心が生じたものの、
疑、戒禁取が、その瞬間に綺麗に落ちるとは限りませんからね。
心の奥底では落ちているのでしょうが、
表面的な意識、思考の部分ではまだ残骸が残っている場合もあります。

有身見は預流道心が生じたときに落ちます。
疑、戒禁取も深部では落ちるのでしょうが、
これが認識、思考レベルまで浸透するのは、また別問題かもしれません。
意識の底では断たれても、表面意識ではまだ残骸があって、習慣の力があって、
混乱しまくることも起き得ます。
適切な指導者や指南本に出会わなければ、長期間迷い続けることもあり得ると思います。

なので同じ預流果でも、出来の良い預流果と、あんまり出来が良くない預流果がいるんじゃないかと。
で、有身見、疑、禁戒取が、表面的な意識や思考のレベルで、まだ根強く残っている人、
スピリチュアルエゴにどっぷりつかっているような人は、出来のよくない預流果で、
こうした人は7回くらい生まれ変わるというプロセスを経るんじゃないかと^^;

三結が同時に綺麗に落ちるケースは優れた預流果じゃないかと。
で、優れた預流果は、適切な仏教の世界にいて、
適切な指導を受けている場合に限るのではないかと思います。
そういう意味で、適切な三宝というのは貴重ですね。
 

しかし、こうしたことを示唆し、考えさせるスマナサーラ氏はすごいですね。
改めて思います。

著書を読んでいるとスナマサーラ氏が預流果に至っていることはわかりますね。
優れた指導者のお一人だと思います。
ただ口が悪いのが玉に瑕なんですけどね^^;

が、著書を手がかりに自習できるすごさがあります。
ここまで解脱について説明できる人は、数少ないと思います。

スマナサーラ氏のアビダルマ講座はメチャおすすめですしね。
これだけわかりやすい解説書は、おそらく無いんじゃないかと思います。

アーチャンチャー、ウ・ジョーティカ氏、スマナサーラ氏、
このお三方は優れています。
優れた指導者でもあります。

しかし日本人には、残念ながら適切な指導者はいません。
指導者の中で預流果に達した方は極めて少ないと思います。
山下氏は預流果に達しいると思いますが、
いろいろと誤解を招きやすいところがあるようですので^^;
大変じゃないかと思います。

そもそも日本は、みんな平等という意識の強い国民性です。
言い換えると、横一列に並びたがる、出る杭は打つ(叩く)、
足の引っ張り合いをしたがるという意識構造があります^^;

なので悟りを宣言することは、「叩かれる」「試練に遭う」というのがお約束でしょう。
上記の動画でも言っていますしね。
昔のインドでも、預流果になったと言ったところ、本当かどうかを試されて、
処刑台にまで連れられてしまっていますからね。
現代ではおおむね強烈なバッシングでしょう。
なんだか面倒なもんです。
おいそれと「私は悟った」とかは言わないほうが無難じゃないかと思いますね^^;
ま、悟ったとか言わなくても、上手に生きていくことはできますので、
波風を立てずに、お気楽にしているのが賢者の道ではないかとも思いますね。
スマナサーラ氏もご自分で「悟った」とは言っていませんからね。

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