葬式は要らない?~善心で臨終を迎えることが大事

葬式は要らない?

葬式
葬式は要らないのでしょうか?

これはデリケートな問題ですね。

私としては、葬式は残された側の都合による儀式だと思っています。これが原則。

もっともこの考えには死生観が関わってきます。

その死生観とは、原始仏教に伝わる死生観です。

実のところ人が亡くなる際に最も大事なのは臨終する瞬間です。もう一ついえば臨終に向かうプロセスです。こいこが大切。

で、臨終のタイミングが善心であるならば、もう大丈夫。葬式も何も要らなくなります。

葬式を必要とするのは残された側の人間

なので葬式は、仏式でも神式でも、お経も何もない友人葬でもいいと思っています。

まったく行わないというのは、さすがに抵抗が出てくると思います。

こう言いますと、人によってはお叱りを受けそうなんですが、葬式や四十九日法要というのは、やはり残された人間側の都合で行っていると感じるんですよね。

いえいえ、これは何も霊性を理解しないインテリ仏教者に多い言説ではなく^^;、もっと体感的なことだったりします。

善心で臨終を迎えることが大事

一番大切なのは、亡くなるまでのプロセスと亡くなる瞬間になります。ここが一番大切。

亡くなるまでの数十分が善心に満ち、亡くなる瞬間が善心であればOKなんですね。

このことは原始仏教でも伝えています。原始仏教では、臨終の際に、

  1. 重業・・・その生涯で行ったインパクトのある行為の記憶
  2. 近業・・・臨終間際の思い
  3. 久習業・・・その生涯で繰り返してきた行為の記憶
の順番で、来世の業(これを「異熟」といいます)が決定すると伝えています。

で、「近業」には「看取る」ことも含まれているんですね。

家族や周囲の人が、臨終を迎える人に対して善心となるように話しかけることこそ「近業」だったりします。

看取ることの大切さ

なので臨終を迎える人に感謝や今までのお礼を伝えたり、その人が行ってきた善い行いなどを伝えることは善いことであり、大事なことなんですね。

そのように言われると、臨終を迎える人が善心に満ちあふれるからです。

つまり「看取り」とは、臨終を迎える人が「善心」にあふれるきっかけ(近業)になる行為なんですね。

亡くなっていく人の心を明るくする「看取り」は大事なんです。

で、もし善心で亡くなると、天界などの善趣へ転生していきます。

だから最高の船出のお手伝いになるんですね。

悲しい看取りはおすすめではない

なので同じ「看取り」でも、家族や周囲が号泣したり、泣き崩れたり、絶叫して、「もっと生きて欲しい」「生き残って欲しい」と訴えると、安らかに死を迎えられなくことがあるんですね。

これから旅で出る人に対して、「旅に行くのを止めて!」と言って、号泣されたら、そりゃ旅に行くことに困惑しますよね。迷ってしまいますよね。

これと同じです。

臨終を迎えて亡くなっていく人に対して、号泣したり絶叫して、困惑させることは止めたほうがいいと思います。

むしろ、その逆で、励まし、誉め称え、感謝をして、新しい旅立ちの背中を押して、気持ち良く見送ることが大事だと思います。

葬式はおまけ

亡くなる人が善心で臨終を迎えれば、もう、それでOKなんですよね。

こうしたハッピーな気持ちで亡くなれば、葬式は要らないかもしれません^^

善心で亡くなった人にとっては、葬式は、なんていいますかオマケですね。

といいますか葬式とは、残された側の人間の気持ちを整理するためのセレモニーに過ぎなくなります。

こうした状況では「葬式は要らない」と言えます。

が、日本の慣習では、葬儀をまったくやらないというのは、いささか抵抗がありますね。

また実際のところ霊性を欠いた知的モンスターが葬儀を否定することも多いですので、100%葬式不要とするのは、問題も出てくると思います。

葬式が必要な故人

もっとも葬儀などの儀式にこだわりや思い入れがある人が亡くなった場合、本人が望んでいる形式で葬式などの儀式を行ったほうがいいですね。

そういう「こだわり」を満足させる必要があるからです。

また悔いを残して亡くなった方の場合も、供養の形を取った仏式葬儀がいいんじゃないかと思います。

けれども一番大事なのは、臨終を迎えるプロセスと、臨終を迎えるタイミングですね。

ここが善心であるならば、その人は善趣へ往きます。幸福で明るい人生への旅立ちとなります。もっといえば、来世はハッピーです。

だから明るい「看取り」は大事なんですね。

原始仏教に伝わり臨終の心

こうしたことは原始仏教に伝えることをかみ砕いて説明していることになります。ブッダの教えに基づくものです。

原始仏教には、こうした生きた教え・活かせる教えがあります。なので一目を置きますし、実際に活かせると思うんですね。

なお幕末に登場した霊能者であり「あの世」へ現身で行った島田幸安は興味深いことを言っています。

島田幸安は、暗く重たく陰気な日本の仏教の法要は、死者は忌み嫌うと言っています。

島田幸安の幽界真説(幽界物語)【その1】

島田幸安の幽界物語(神界物語)【その2】~神さま(天人)となった先祖は仏教の供養を嫌う

島田幸安の話しは大変興味深いんですね。以前に記事に書きましたので、ぜひお読みになってみてください。

で、島田幸安の話しに基づけば、仏式の葬式はイラネとなりますね^^;

でもガキや浮かばれない存在となった場合は、仏式の法要がいいのではないかと思います。

神さまのような天界の生命になった人は、仏式の陰気な葬儀などは控えたほうがいいかもしれませんね^^

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