「認知の歪み」があると悩みやトラブルが多くなる~基本的な教養や言語認識・読解力不足が原因

「認知の歪(ゆが)み」
実は、全ての人が、認知に歪みがあったりします。

「認知の歪み」とは、五感で感じられる物事を解釈する過程で、
事実と食い違った解釈をしてしまうことをいいますね。

ですが、人間のほぼ全てが、「認知の歪み」を引き起こしています。
といいますのも、認知の基盤となっているのが、思想、体験、記憶だからです。

で、思想、体験、記憶は、人それぞれ違っています。
ですので、認知の仕方は、百人百様となって、違いが出てきます。
当然、認知の歪みは誰もがでてまいります。
 

しかしながら、「認知の歪み」があっても、
おおむね共有できる範囲ですと、「問題なし」とされますね。
この範疇に収まっていますと「常識的」であるとか「正常」とかいわれますね。

学校教育や、生きていく中で自然と身につく社会慣習的に基づく解釈や、
本能的に生じる善意識や良識に基づく解釈は「正しい」とされます。
げんみつには「反社会的でない」ということになるのだと思います。

これが、「適正」とされる範疇を超えた認知となりますと、
「歪んでいる」「異常」「おかしい」と言われてしまいます。

で、社会慣習的な解釈に根ざすものは、時代によって変わりますね。
一方、本能的に生じる善意識や良識に基づく解釈は、普遍性があります。

問題になるのは、前者のほうですね。
社会慣習的な解釈に根ざす認知です。

これに加えて、教育の欠如も「認知の歪み」を助長しますね。
現代教育の問題点はいろいろといわれています。
私も問題ありとは思います。
ですが、それでも教育は大切ですね。
現代版の教育システムであっても有益と思います。
とても大切と思います。
無いよりも、あったほうがいいです。

しかし教育といっても、何も学歴を飾ることではありませんね。
これは言わずもがなです。
教育で大切なものは、いくつかありますが、
人の話を聞いて理解し、また本を読んで文章を理解する能力。
これは基本になってくると思います。

これが、著しく欠如したり、的外れになりますと、何かと問題を引き起こしますね。
教育の欠如による「認知の歪み」というものですね。

「教育の欠如による認知の歪み」といった言葉があるかどうか分かりませんが、
基本的な教養やスキルが不足していますと、
「認知の歪み」を引き起こすことが多いと思います。
 

善意識や良識に基づく判断や解釈が弱く、これに教育が欠如していますと、
とかく問題になりやすい「認知の歪み」になりやすい気がします。

酷くなりますと、いじめの対象にもなると思います。
なぜなら、コミュニケーションにも支障が出てくるからですね。

適切な言い方をして伝えられた内容に対して、
見当違いな捉え方をしますと、その人は「おかしい」とされます。

反対に、分かりにくい言い方をして伝えて、大勢にうまく伝わらなかった場合は、
発言者が「おかしい」とされます。

中身ではなく、解釈や表現の仕方が不適切な場合に
「認知の歪み」が起きているケースが、かなりあったりします。
 

本を読んだ感想を聞くと、「認知の歪み」が分かることが多いですね。
感想はそれぞれだとしても、書いていないことを述べてしまうのは、
基本スキルの欠如が原因の「認知の歪み」のあらわれです。

これは読解力が極端に低いことや、勝手に想像してしまうのが原因でしょう。
こういう受け止め方や理解をしていますと、対人関係でも同様のことが起き、
なにかと人間関係で誤解を招いたり、トラブルを引き起こしているはずです。

苦労の多い人生なんじゃないかとか、
生きにくくなっているんじゃないかと、心配になります。
読書感想は、「認知の歪み」がわかるリトマス試験紙のようなものです。
 

ですが国語力は、トレーニングで改善できます。
国語力をアップすることで、「認知の歪み」も緩和できます。

まずは、本を熟読する習慣を持ったほうがいいと思います。
よく理解しながら本を読む。
これを何年か継続していますと、国語力がアップすると思います。

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