「気感」の日本と「主張」の欧米~日本と西洋の文化・思考の根源的な違い

日本的な思考と西欧的な思考の根源的な違いについて。
ちょっと過激になるかもしれません。
また偏見を感じるかもしれませんが、所見を述べてみたいと思います。

こうした和洋の違いを述べる向きは、「今さら」と時代遅れの感もあります。
明治維新の頃からさんざん言われてきてもいますし。
ですが、今だからこそ再考する価値があったりします。

そもそも日本と欧米との権限的な違いを
「スパっ」と指摘したものは少ないかなと思います。
いえな単に私が見聞していないだけかもしれません。

「気感」の日本と「主張」の欧米

日本と欧米の違い。
本質的なことをいえばズバリ、それは「気感の有無」です。

気感。
はてなんぞや?と思う方もいらっしゃるかもしれません。

気感とは、気を感じ取り、読み取る能力のことです。
わかりやすくいえば「空気を読む能力」です。
要するに「察する」ことですね。

日本文化を「察しの文化」という見解もあります。
反対に欧米を「主張の文化」と。

「察し」の本質は「気感」です。
「気」を感じるところから「察し」は生まれます。
「気」を感じられるから、「察する」ことができるわけなんですね。

逆にいえば、気を感じることができなければ、察することはできません。
空気も読めません。

KYにもなります。
日本では、KYはひんしゅくを買います。

おもしろいですね。
どんなに時代が変わっても、日本には「空気を読む」慣習や風土があります。

欧米には空気を読む風土はほとんど無い

欧米には、こうした空気を読む風土はほとんどありません。
有名な話しが、日本のわびさびの文化を、ほとんど理解できないというものです。

岩に生えもすコケに、芸術性や情緒を、日本人は感じ取ることができます。
コケに芸術性があるのではなく、岩全体、そしてその背景にある「空気」をも包括して、
美しさや趣を感じ取ることが、日本人にはできます。

しかし欧米人は、気感が弱いので、微細な空気を読むことが苦手です。
ですので、西洋人は、主張をし理屈をいいたがるのでしょうね。
そうしないとわからないからです。
明文化し、言葉で説明しようとするのでしょうね。

こうしたことから、自分のことを主張する文化ができあがったわけですね。
言葉を費やす文化です。
もちろん、言葉は大切です。
しかしその傾向が、西洋人は高いのでしょう。

ちょっとしたしぐさ、空気で、多くの情報を読んだり、表現することが不得手です。
こうしないと理解できないのでしょう。

日本人の場合、「オノマトペ」言葉があるように、
多くの情報を拭含む心情や空気を伝えることも読むこともできます。

気感の代わりに言語化・論理・合理性を発達させた欧米

欧米人は、気感の代わりに、言語化によって、カバーしています。
これが、哲学や思想を発達させ、言語表現の巧みさを生み出しています。

また、ロジカルであるところの論理学を生みだし、
合理性を重視するようになっていきますね。

これは素晴らしいことだったりします。
言語化し、明文化することで、ロジカルな感性が発達し、
ムダの無い合理性をも実現できるようになります。

しかしながら、全てを明文化し、理屈で説明することに依存しますと、
さすがにやり過ぎになりますね。

理屈付けがしっかりとできていないとダメだとか。
しかしこれは、明文化したり理屈付けをしないと分からないから、
こうした傾向が出てきているだけですね。

やはり、理想は、気感も合理も、どちらもそなわっていることですね。
本当の合理性とは、気感が相伴っている場合とも言えますね。
多くの情報を読み取り、それを理解した上で判断するのが
「真の合理性」とも言えましょう。

60才を過ぎると気感が生じる欧米人

ところで、欧米人も、晩年になり、60才を過ぎると、
気感が出てくるといいます。
「なんとなく」といった空気を読むことができるようになるといいます。

これは面白い現象ですね。

まあ、それぞれ文化なり風土なりの影響も受けて、
独自の感性を発達させていく面もありますね。

人に個性があるように、民族や人種にも個性がありますね。
そういう個性や違いは、実に興味深いものがあります。

おもしろいものです。

2013/06/15 15:57:32