人の欠点を見抜くことは正しいとは限らない~長所も短所も両方見抜くことができて本物

人は誰でも欠点・短所がある

人は誰でも欠点・短所があります。
それが強いか、弱いか。
あるいは、今強く出ているか、出ていないか。

程度の差こそあれ欠点・短所を持っています。
欠点・短所がない人はいません。

欠点・短所というのは、「煩悩」とも言えます。
エゴ、心グセ、葛藤、抑圧、PTSD、トラウマ等々、
こうした心の歪み等の全てですね。

で、こういうのは必ず表面に出てきます。
表情、言葉、動作、筋肉、気に出てきます。
ですので、敏感な人は、これをキャッチしていきます。

欠点は自分で自覚・気づくのが望ましい

ただ、敏感にキャッチしたからといって、それを臆面もなく
ズケズケと言うのはよろしくありません。
たとえ、分かっていてもです。

誰しも闇を持っているからです。
また、その闇の矯正は、そう簡単にでいない場合もあるからですね。

ですので、本人が、いつかどこかで自覚する、
気付くのが望ましくなると思っています。

とはいっても、なかなか自覚が出てこない場合もあります。
ですので、「いまここ」「マインドフルネス」をおすすめしています。

自己観察をすることですね。
自分と向き合うこと。

そうすれば、誰でもやがて自己の姿を垣間見るようになり、
気付くようになります。

自分の欠点への無自覚さは自己成長の停止状態

しかし、自己の本心に気付いてショックを受けることも少なくありません。
これをいかにして克服していくかもテーマとなります。

実のところ一時で終わるものではなく、
常日頃、見続け、一生続けていくことだったりします。

結局、「気付く」という作業をしなければ、永久に「分からない」ままです。
自己の成長が止まったままになります。

ですので、自覚するためには、「気付く」「自己観察」が欠かせなくなります。
なので、「いまここ」「マインドフルネス」というのが必要なわけですね。

目に余る場合は第三者が「物事の善し悪し」を指摘する

ところで、短所等で、酷い場合や、目に余るときは、
第三者が指摘してあげたほうがよいと思います。
周囲にも多大な迷惑をかけてもいるからです。

時々、事件を起こす人もいますが、
そういう方々の中には、「悪いとは思っていなかった」という
仰天するようなことを言う人もいます。

こういう人には、幼少の頃からしっかりと「物事の善し悪し」を
言い聞かせて、教育しないとならないでしょう。

しかし、「物事の善し悪し」がわからないというのは大変です。
これは、大変危険なメンタリティだからです。

罪悪感が無い心「無慚・無愧」とは恥知らず

罪悪感が無いというのは、実は、最も危険な精神だったりします。
仏教では、「最悪の煩悩」とまで断じて戒めているくらいです。

なぜ最悪かといえば、平気で悪を為し、
無意識のうちに悪業をどんどん作っていくからです。
要するに悪魔のような存在になるからなんです。

仏教は、罪悪感の無い心を、

無慚(むざん)
無愧(むき)

として、極めて強く戒めています。
無慚(むざん)無愧(むき)も煩悩です。

要するに無慚(むざん)無愧(むき)とは、
「破廉恥(はれんち)」なことをいいます。
「恥知らず、善悪の分別が無いようではいけませんよ」ということです。

逆にいえば、無慚・無愧への感性を、
より鋭敏にしていくことが大切ともいえます。

人の欠点はやたらとあげつらわない~長所を見る

それと、周囲に迷惑をかけることがないなら、
人の欠点をあげつらうのはやめたほうがいいですね。

欠点は、なかなか改善できないことが多くなります。
長い長い間、取り組むことも出てきます。

人から指摘されると、長い間、恥を持ち続けることも出てきます。
人から指摘されるよりも、自分で気付くようにしたほうがいい。
こっちのほうがいいんです。

相手の欠点を見抜く鋭い眼力があったとしても、
その鋭敏な眼力は、長所や優れた点を見つけることに
使うことが望ましくなります。

他人の短所しか見えないのは危険

ただ実際は、相手の欠点はよく見えても、
長所が見えないという方が多かったりします。

これは、ある意味、発展途上の眼力といえます。
あんまり言いたくないのですが、意地が悪い、性格が悪いとこうなります。

本当に眼力を持った人であるなら、
相手の短所も長所も両方見えるようになります。

相手の短所がよく見えて、それだけをあげつらうのは
実は危険でもあったりします。

鋭敏な感性は、心の深い部分と関連しています。
心の深い部分がネガティブに染まっていると、
物事の欠点ばかりが見えるようになったり、
ネガティブな寸評ばかりしてしまうようになります。

これもまた危険な兆候です。
「いまここ」「ポジティブシンキング」などを実習して、
心をクリーンにしていくことが必要ですね。

ハッピー・プラスの気分がおすすめ

ですので相手の短所は気付くだけにとどめて、そっとしておく。
最初から知らなかったことにする。
良い点を見るようにする。

誰しも完全な人はいませんしね。
みんな欠点を持っていますし。

ですので、お互い様になるわけでして、
同じ生きるなら神々のようにハッピーであるのがいいんじゃないかと。

ハッピーとは、簡単にいえばプラスの気分です。
あんまりごちゃごちゃと重箱の隅を突っついてあら探しをしたり、
批難や批判だけに終始するのではなく、
まあ、いいんじゃないのとおおらかな鷹揚さで、
陽気な気分でいるのがいいですね。

こうしたメンタリーの向こうに神々の世界も連なっています。
ええ、天人達は、シンプルに楽しい気分です。

肯定的で、明るく、前向きで、おおらかでありながら、
鋭敏で巧みなのがいいと思いますね。

そうして仏教では、この様を「善」といっています。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です