縁故(コネ)による人間関係はおすすめ~安心感のある才能も活かせる安定した関係

縁故(コネ)による従業員採用はうまくゆきやすい

昔は、今のように一般公募で従業員を採用するというよりも、知り合いや紹介で、「こいつを雇ってくれませんかねえ」といった感じで、仕事に就くことが多かったといいますね。

で、こういうのを「縁故」といいますね。「知り合い」という「縁」を通して雇用者が誕生する。今では「コネ」といっていますね。ええ^^;

実はこれって、自然な人間関係を構築する要因になっているんですね。

不特定多数の人ではなく、「知り合い」といった「縁」を媒介にして、雇用者が決まっていく。

実のところ、縁故・知り合い(コネ)による社員採用や、職場の人間関係のほうがうまくゆきます。

今日は縁故パワー(コネパワー)によるお話しです。

縁故による結婚もうまくゆく場合が多い

思えば、昔は、結婚も親戚の紹介を通しての「お見合い」なんていうのが一般的でしたし。

これも「縁故」です。

本人の選択権や決定権が弱いので、封建的と思われやすいのですが、人によっては、こうした「縁」のパワーで、夫婦関係やらを構築して固めていったほうが、うまくいくこともあります。

特に、異性に声をかけるのが奥手なケースでは、縁故パワーが有効です。

本人を取り巻く環境、自然な人間関係の中から生まれる「縁故」による結びつき。縁のパワー。

私が体験した縁故パワー

縁故(コネ)の威力は、実際、私自身が体験しています。以前勤めていた会社は、Mさんという方の「縁(コネ)」で、従業員を採用していたケースが多かったものです。

同じMさんの「縁」ということもあって、ウマの合う人が多く、居心地もよく、どこか友達のノリもあって楽しかったものです。ブラック企業でしたけどね^^;でも必然的に、息の合う集団になっていったような感触です。これに、昔からいた社員の一部も、同調共鳴していきましたね。

人間関係の調和が出てくることは、居心地がよく、仕事の効率も上がり、大変良いことであると思ったものです。

「縁故」というのは、前時代的なやり方と思われやすいのですが、そうではなく、実は安定した人間関係を構築しやすい「古の知恵」だったりもします。

近代の労働観では人間は「モノ」として扱っている

考えてみれば、不特定多数の中から、能力や資質だけで選ぶやり方は、他社よりも優れ生き残るといった、現代資本主義的な「戦闘型企業の思想」が背景にあるわけです。

要するに、効率、スピード、低コストを実現したいために、世界中から才能のある人間を探したいわけです。

で、これは従業員を「人」ではなく、「モノ」として扱っているわけですね。そうじゃありませんか?

実際、近代の労働観では、従業員同士の働きやすさや相性なんか「なにそれ?」。まるで「甘え」であるかのような扱いですよ。「そんなこと言うのは生ぬるい」「そんなの耐えて当たり前だろうが」と一喝。昭和の時代は、特にこういうノリだったものです。

とにかく成果主義。実績を上げることに全力失踪、もとい疾走させることに力を注ぐわけです。人間の感情、ことに機微に関しては、「そんなややこしいことはドウデモイイ」といったノリ。大変、野蛮で前時代的です。

で、ずる賢いことに、こうしたヒーマニズム的なことを蔑(ないがし)ろにしているにも関わらず、表面的には「社員の人間関係は大切デス」「人間性が大事だよな」とポーズを決めるズルさといいますか、鈍感っぷり^^;

なんかコテンパンに書いていますが、実際、こういうのは多かったですね。いや、世間とは、今でもそういうものです。ただ、昭和の頃は酷かったと思います。

もっとも、本当に、こうした感性なのかもしれません。それだけ大雑把で、大味で、箸にも棒にもかからない教養の乏しいレベルなのでしょう。って、コテンパンに書いていますが^^;

今の時代は、ホリエモンや西野亮廣さんらにみられるようにクレバーな人が世間をリードしていますね。心の機微を理解し、洞察に優れ、賢い人が、世の中をリードしている。時代は変わってきています。いいことです。

人は心地よい人間関係の中で能力を発揮できる

しかし、昭和の時代にみられたような雑な扱いによって、多くの人は、ものすごいストレスも抱え込んでいます。結果的に生産性や効率すら落とることすら、まま起きています。

しかし、こうした部分には、あまりフォーカスしません。やっぱり先立つのは「お金」。売上です。仕方ないといえば仕方ないのですが、こうした有り様は、結果的に会社の売上を下げて、会社の寿命を短くさせてしまいます。

大概は「従業員の働きやすさ」など「後回し」になり、二の次としてしまいます。で、企業利益の飽くなき追及を進めていきます。

こうした有り様の中では、昔のような「縁故採用」というのが主流にならないのは、それこそ当たり前といえば当たり前かもしれません。

縁故やコネは、どこか裏技的で、小狡い採用であるかのような印象があります。また縁故やコネよりも、より優秀な人材を、不特定多数の中から募集する制度のほうが望ましい、といったことが信じ込まれ続けています。

で、このことを「機会均等」だの、「平等だの」といったレトリックを使って、もっともらしくカムフラージュもしています。本当は、労働生産性至上主義が根底にあるんですけどね。

しかし、従業員目線でいえば、スームースな人間関係の中で仕事ができることのほうが、よかったりするんですね。

本当は気の合う仲間、縁故の関係のほうがうまゆくゆく。これが事実です。もっとも智慧の乏しい人達が集まると、堕落につながりやすくなります。

しかしながら「縁故でうまくゆく」体験を一度味わってみますと、人間関係の良さや安心感が、どれだけ大切なのかがわかります。

つながり・相性を活かした人間関係が望ましい

現代のように、不特定多数の人とつながっていくよりも、「縁故」のように、限定的な関係の中で構築されていく関係のほうが、うまく作用することも多いと思います。

といいますか、

不特定多数の中から人工的に作る人間関係と、
縁故や相性による、ウマの合う自然な人間関係

大きく分けて、この2つがあるのでしょう。

しかし、縁故による関係のほうが、物事は安定し、多くの人達の幸福感につながっていくのではないかとすら思います。

ですので、私も今では「縁故」というものを重視しています。また、ウマが合うかどうか。これを重視。

「良いとか悪い」とかよりも、
「合うか、合わない」か、
「つながってるか、つながっていないか」
「つながるか、つながらないか」。

考えてみれば、一般的な意味での「良いとか悪い」というのはイデオロギー的です。身体意識を欠如した左脳的な判断です。

そうではなく、「合うか、合わないか」
「つながってるか、つながっていないか」
「相性」。

これで決めていく。

縁故・相性では智慧で判断する必要がある

ところで、「そんなやり方では、ワガママになるのでは?」あるいは「マンネリ、馴れ合いになるのでは?」と思う方もいるかもしれません。

いえいえ、そういうことはありません。こういっては何ですが、そもそも、そういう疑問が出ること自体、既に一つのワナ、レトリックに陥いっていることを示しています。

ここは「智慧」で判断するところです。

分析的に判断したり、考え始めると、思いっきりドツボにはまっていきます。「待ってましたと」ばかりに、それこそ「ワガママな世界」に入っていく恐れが出てきます。

智慧を基準にしないから、物事はおかしくなってもいったりもします。「知恵」ではなく、「智慧」です。

智慧と知恵は違う

そういうことですが、「縁故」によるパワーや効能を、今一度、見直してはいかがかとも思います。

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