江戸時代の身体能力と身体感覚のすごさ

江戸時代の身体能力はすごい

江戸時代における日本人の身体感覚は発達していたといいます。江戸時代に限らず、昔は、身体感覚が優勢な時代だったようです。

たとえば走り方。
走り方は、昔と現代では違っていたといいます。

江戸時代、今の宅急便と同じ仕事をしていたのが飛脚。この飛脚がすごい。

なんでも一日、100㎞とか200㎞を走ったといいます。

江戸時代の飛脚は一日100~200㎞を走る

江戸時代の飛脚は一日100~200㎞を走っていたというから驚きです。

100㎞といえば、おおよそ東京からから富士山山頂(静岡県)くらいまでの距離です。200㎞となれば、東京から静岡市くらいまでの距離。

これを1日で走るわけです。
しかもこれを仕事にしていたわけです。

体一つで、手紙などを運ぶわけです。
走って。

なんという身体能力なのでしょう。
驚異的ですね。
今では考えられません。

江戸時代における走り方は今とは違っていた

高岡英夫さんによると、当時は、今とは違う走り方をしていたといいます。

昔は、体を前のめりにして、自然に倒れる運動の性質を利用していたとか。

自然と脚が前に出るような走法をしていたのではないかといいます。

江戸時代は、現代のような自動車などの文明の利器が無い時代です。

いかにして効率よく身体を使うか、というのが研究されていたのしょう。

いえ研究というよりも、自然に、効率のよい身体の使い方となったのでしょう。

江戸時代の料理人も包丁の使い方が違っていた

身体能力の効率的な使い方は、飛脚だけでなく、料理人にもあったといいます。

昔と現代とでは、包丁の使い方も違ったといいます。

昔は便利な道具なない分、身体を使わざるをなかったのでしょう。

結果的に、驚異的な効率の高い身体の使い方となったのであろう。
このようにいわれています。

同時に身体感覚もそうです。
身体の感覚も、昔は鋭敏だった。

身体感覚に鋭敏な日本人

日本人は、身体感覚に鋭敏でした。
事実、身体感覚に関連する言葉が日本語には多いですからね。

「頭にキタ」
「血が上る」
「腹に据えかねる」
「腹をくくる」
「腹に一物がある」

などなど。
心情と身体感覚を結びつけた表現は多くあります。

これらの言葉は、単に言葉の綾ではないんですね。
本当に身体感覚として合っています。

日本人のこの素晴らしい身体能力と身体感覚。
現代では便利なものが横行するようになったため、
これらの能力を意識的に開発していかないと、退
化するか未開発のまま終わってしまいます。

身体感覚を研ぎ澄ませて磨いていくことは実は大切です。そうして身体能力をアップしていくことも大切ですね。
本当にそう思います。

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