読書は良質な知識を得る時間~継続は力なり

読書は、ほぼ毎日しています。
もう日課ですね。

日課と言えば、あれやこれやとやっていますし、読書の習慣そのものは、もう何十年にもなりますが、毎日の読書は、かれこれ15年くらいになると思います。

今は古書が手軽に、しかも格安で手に入りますので、読みたい本がどんどん増えていく感じです。

読書は、本当に大切だと思います。古代インドの「ウパニシャッド哲学」では、「知識は力なり」として、知識をものすごく重視していたくらいです。

古代インド人が言った「知識は力なり」の真意は別にして、現代でも「知識は力」といえるでしょう。

少なくとも、物事を判断したり理解する上で、知識の質と量は必要です。

知識が無いよりは、あったほうがいい。しかも、できるだけ「良質な知識」。

これは明かな事実でしょう。判断材料は、良質な情報が多い方が断然いいですね。
 

しかし、こう書きますと、「知識が多すぎると、それに振り回されてしまう」と言われる方も出てきます。

ですが、それは知識との向き合い方の問題です。知識だけで判断しようとするから、混乱したり、振り回されてしまい、見当違いなこともやってしまうのでしょうね。

膨大な知識というデータベースを基にして、全体を俯瞰し、直感を絡めていくことが大切であると思っています。

これは「思考」の有り様です。
「頭の使い方」です。

判断の際、大切なことは、まずは、できるだけ偏見に陥らないように注意することだと思います。そのためには全体性を踏まえて俯瞰していくこと。これに直観を絡めていく。

ですが、こうした思考するにあたっても、吟味できる材料が無ければ、なかなか埒が明かなくなります。

そこで情報や知識の取得。その最善の方法は、「書物から得ること」だと思っています。

できるだけ多面的、かつ豊富に。相反する見解や情報も知っておくのが望ましいでしょう。
 

昔は、情報や知識を得ることそのものが難しかった。良質な情報になればなるほど、その存在すら見当を付けるのが難しかった。

けれども今では、ネットがあります。このネットのおかげで、大量の情報を吟味することもしやすくなっています。

しかも古書もスグ手に入ります。情報の取得に関しては、昔と比較して格段にレベルアップしています。

そのため、市井の中にも、優れた見解を持った方や、専門家並の知識と見解を持った人も、ものすごく多くなっている。

世の中の悪事も真の問題点すら、明らかになってしまってきています。それはYouTubeを見てもわかります。地上波では言えないこと、言わない真実を、著名人らもバンバン公開している。人々の情報リテラシーがどんどん高くなっていく。高い人が増えていく。

これは素晴らしいことです。本当に素晴らしい。
 

で、とにかく、学んで学んで、学びまくる^^;何事もそうですが、学ぶことは大切です。

学ばなければ、物事を勝手に判断していまします。直観は大切ですが、知識や根拠の乏しい直観は妄想にもなりやすいものです。また、見当外れな物の見方にもなりやすい。

できるだけ勉強し、学ぶようにしたほうがいい。これは本当に、そう思います。

それと、「考え方」そのものもそうです。できるだけ、多面的かつ俯瞰的にも見て、立体的にも考察をしていく。そうして偏見や偏りにできるだけ陥らないように注意もしていく。

あとは智慧ですね。瞑想的な話しになりますが、結局、智慧のことにもなるんですね。
 

ここまで来ますと、かなり、物事を正しく観ていくこともできるようになるのではないかと思います。

で、何はともあれ、まずは「読書」ですね。読書。

良質な著作物を片っ端から読んでいくのもおすすめです。ダメそうな本を読むのは、時間の無駄になりますので、良質な著書を手にして読んでいく。

面白いことに、何年も読書をしていますと「なんとなく」よさげな本が分かるようになります。

それは自分にとって必要であり、ふさわしい本なのかもしれませんね。しかし、そうした本との出会いが、自らを豊かにし、高めてくれます。

あと、本の読み方、読んだ後の知識をどう憶えていくかということも大切ですね。これは「読書術」になります。読書術は、これはこれで、また別の話になってきますね。

で、読書。
「知識は力なり」。
本当にその通りであると思います。

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