ブレードランナー 最後のセリフを言うレプリカント・バッディが印象的

旧作ブレードランナは不朽のSF映画

ブレードランナー。
リドリースコットによるSF映画の名作ですね。金字塔です。

2020年には「ブレードランナー2049」が上映されましたが、私としては1982年の旧作のほうが思い入れがあります。

旧作のブレードランナーは、超弩級のインパクトがあったものです。

その世界観。
なんだか既視感(デジャブ)があるんですね。

カオスな近未来映画なんですが、どこかで見たかのような感覚になるわけですね。この既視感が、意識の深いところにアクセスしてきて、なんとも言えないくらいに惹きつけられたものです。

Blade Runner: The Final Cut (Trailer)


※BFI公式チャンネルより

ブレードランナーは最後のバッディのセリフが印象的

で、ブレードランナーといえば、ラストのセリフです。超人的なレプリカント・バッディが、最後に言うセリフですね。

哲学的です。
人生を感じさせます。
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おれは、お前ら人間には想像もできないものを見てきた。
オリオン座の近くで燃えた宇宙船やー
タンホイザーゲートのオーロラ
そういう思い出もやがて消える
時が来ればー
涙のように
雨のように・・・
そのときが来た
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※YouTubeで「Blade Runner • Tears in Rain • Vangelis」と検索すると出てきます。

これが圧巻なんですね。圧倒的に迫り来るものを感じさせて、言葉にならない深遠な気分にさせます。

バッディのセリフはアドリブ的だった

ブレードランナーは、言語化されていない諸々を、映像を通して無意識のうちにブレードランナーの世界や背景を印象として伝えているんですが、最後のセリフで、言語化されてこなかった深遠なテーマが一気に言語化されてもいるんですね。

ちなみに最後のバッディのセリフは、俳優のルトガー・ハウアーが考えたものだったといいます。台本に書いてあるのとは違う言葉を使って、オリジナルで語ったといいます。

なんていうか神がかっていますね。名作に「名アドリブあり」といった感もします。

てか、ブレードランナーは、この最後のシーンが超絶印象的で、ブレードランナーを金字塔にしている最大の要因でもあるんですね。で、これがアドリブ的なものだったといいますので、なんか非常に神がかっているといいますか、いや変な次元の霊がお告げのように語らせているかのようでもあって、非常に不思議なんですね。

この最後のセリフがあってこそ、ブレードランナーをブレードランナーたる作品にしているわけでもあります。

ブレードランナーの世界観

ちなみに最後のセリフの背景というか、ブレードランナーの世界観をいえば、そもそもレプリカントとは人造人間。感情も子どもの頃の記憶も持たない人造人間。冷酷無比な人造人間。

しかし人間とは比較できないほどパワフルで超人的なパワーと持っています。が、レプリカントは寿命が短い。3~5年の寿命。

そんな人造人間を、宇宙における危険な業務を行わせて、ていのいい奴隷のような扱いをします。

ところがレプリカントは、記憶を求めるようになり、これと関連してか感情を抱くようになったとか。

そんな中、強制労働から脱走したレプリカントが地球に戻り、自分達を作った工学博士を見つけ出して、なんとか寿命を伸ばしてもらおうと頼み込みにいくわけですね。

一方で、脱走したレプリカントを追う(狩る)のが「ブレードランナー」といわれるレプリカント狩りの刑事。主人公のデッカードは、脱走したレプリカントを捕獲するプロ。

映像を通して深遠な哲学と宗教を伝えるブレードランナー

こういう状況設定があって、最後のシーンへと進むわけなんですが、まー、ホント最後のシーンは圧巻なんですね。

レプリカントのリーダーで冷酷無比なバッディ。バッディは、人間を何人も殺害してきている様子。レプリカントを作った工学博士も、目を潰しながら淡々と殺害。

で、自分を追いかけるデッカードよりも、レプリカントであるバッディははるかにパワフル。逆にデッカードを追い詰めます。

追い詰められて怪我を負うデッカードは、ビルの屋上から落下・・・というところで、なんとレプリカントのバッディは、デッカードを助けます。

あの冷酷非情な人造人間が、人間を助けた。このどんでん返しに意表を突かれるんですね。「え?なんで?」と。

と、いったモヤモヤとした疑問を抱きながら、最後のシーンに突入して、バッディの最後の名セリフとなだれ込んでいくわけです。

酸性雨に打たれながら、鳩を胸に抱きながら、人造人間バッディは語るわけです。

自分たちは、どこから来て、どこへ行くのか。

人造人間である彼らも、過去世と来世を思うわけですね。しかも愛にも目覚めるわけです。

ここに至ってレプリカント(人造人間)も人間も変わらない。

愛に目覚め、三世(前世、現世、来世)を思うならば人間と変わりが無い。いや、命尽きる、その瞬間に、人間デッカードを助け、来世を思い、鳩をやさしく抱いて亡くなっていく様は、人間以上ではなかろうか。

まるで肥だめの中で野垂れ死ぬかのようなシチュエーションなんでしょうが、その汚れた中で死にゆく者であっても死生観を抱く。そこに人間のはかなさや煩悩やら高尚な意識やらがごった煮になりながらも、生命として命尽きてゆく様が描かれています。

非常に深いメッセージ性のある光景にドドーンと胸を打たれるわけですね。映像を通して、深遠な哲学といいますかある種の宗教的なモノを伝えるわけです。

で、人造人間であろうと人間であろうと、魂というか意識が存在し、その意識の有り様がどうなっているのかを自覚するならば、外見のフォームは関係ない。

そんなことを当時、言葉にならないものとして感じで、えらくジーンと来たもんです。

ブレードランナーは、感動して涙するという類ではなく、何か生命の深遠さを感じさせるところにズーンと響くものがあるんですね。

小汚い描写であるが故に人間臭いんですが、仏教が説く穢土(えど)の世そのものであって、こうしたドロドロとした中で描かれるある種の生命観に、非常に深いものを感じさせます。

ブレードランナーを支えるヴァンゲリスの音楽

で、この深い哲学性を支えているのが、ヴァンゲリスの音楽なわけです。

もうね、ヴァンゲリスの音楽あってのブレードランナーなわけです。

もうね、ワタクシなんかは、ブレードランナーの音楽にヤラれていますからね。

ヴァンゲリスの音楽があってのブレードランナーです。
はい。

もしもこれが、ズッコケ音楽だったら、凡庸な作品になっていたと思いますね。それくらいヴァンゲリスの音楽は秀逸。合っています。

ヴァンゲリスが手がけたブレードランナーの音楽の数々は、今聞いても色あせません。

Blade Runner Blues Livestream (Cover/semi-improv.) Vangelis


Rachel’s Song – State Azure Cover ft. Amy Wallace (Vangelis Tribute)


こちらは、いつもアンビエント・ミュージックで紹介している「State Azure」さんによるカバー曲です。

いいですね^^

グっときます。
なんか、こう、意識の深いところにアクセスしてくるんですよね。

で、退廃的な空気もありながら、どこか高尚でもあって、不思議な響きを奏でています。清濁併せのむといいますか。実に不思議な音楽なんですね。

著作権の関係で紹介できませんが、
Main Titles
Blade Runner Blues (rain version)

で、検索すると、よさげなブレードランナーの曲が出てきます。これまたいいんですよね。時々聞きたくなります。

ブレードランナーは今聞いてもいい音楽

そんなブレードランナーなんですが、哲学的な深遠さに、当時、ワタクシはえらくジーンときてしまいましたが、今、音楽を聴いても、いいなあって思いますネ。

ヴァンゲリスの音楽は、意識の深い部分に響く、そんな音楽です。

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